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平成24年度の御製カレンダー

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昨日、来年度の昭和天皇御製カレンダーの案内が郵送されてきた。昨年は1部のみを購入したが、今年はもう1部購入して、長期入院している実母の病室にも飾って貰おうと考えている。
http://www.f-showa.or.jp/3_kankou/2_calendar.html

さて、ここ数年にわたり今上天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会始(うたごかいはじめ)だが、皇室インナーサークルの栗原茂氏から、毎年2月頃に歌御会始に籠められた深奥のメッセージの一部を聞かされているだけに、昨日は来年の御製カレンダーに掲載される昭和天皇の御製のメッセージを読み取るべく、『昭和天皇のおほみうた』(鈴木正男著 展転社)を久しぶりに紐解いてみた。

一読して、今年の3月11日の東北沖大震災とその後の復興を念頭に置いた、平成24年度の御製カレンダーであることが読み取れるのだ。最初の御製(1~2月)は「あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり」であるが、鈴木正男が「前年の関東大震災の悲惨と虎の門事件を下敷にされた御作であることは余りにも明らか」と述べているとおり、来年のカレンダーの冒頭にこの御製を持ってきたのも、311を強く意識してのことであることは明白だ。

Gyosei2401_02
続く御製(3~4月)は「もえいづる春の若草よろこびのいろをたたへて子らのつむみゆ」であり、『昭和天皇のおほみうた』で同御製を「この御製は昭和二十五年(一九五〇)の新年歌会始の御作である。二十五年になると苛酷な占領政策も緩和され、日本国民も漸く生気を取り戻して、祖国復興も軌道に乗りつつあつた。御製にはその喜びがにじみ出てゐるのを拝する」と述べているように、まさに東北沖大震災と福島原発事故からの祖国復興を、軌道に乗せたいという御心を暗に伝えていることが想像できるのであり、そのあたりは続く御製(5~6月)「うつくしく森をたもちてわざはひの民におよぶをさけよとぞおもふ」で一層明白となる。

その後の御製三首(7~8月、9~10月、および11~12月)は、月々に相応しい内容の御製であるが、特に注目すべきは最後の以下の御製だ。

静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ

Gyosei2411_12
ここで筆者は、「宮居」と「あさぼらけ」に注目した。大辞林によれば、宮居とは「皇居を定めること。また、その所。皇居」とある。何処へ定めようとするのか…。「あさぼらけ」にヒントが隠されていた。百人一首に以下の歌がある。

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に ふれる白雪
《坂上是則(31番) 『古今集』冬・332》

念のため、上記の歌の英訳を以下に掲載しておく。
At peep of day, the waning moon
Should seem to shed her paling light
Upon Yoshino's hamlet lawn,
The snow so bright doth make the night.

ここで、「吉野」が出てきた。落合莞爾氏の主張する「東京皇室と京都皇統説」を念頭に、昭和天皇の御心を読み、さらに来年の1月に今上天皇の御製、皇后陛下の御歌、皇太子と皇太子妃の詠進歌、皇族の詠進歌が発表された段階で、上記の昭和天皇の御製と組み合わせて立体構造にすることにより、皇紀暦2672年(西暦2012年)の大きな流れが掴めるはずである。


放射能に負けねーど(2)

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本稿は、5月4日にアップした「放射能に負けねーど」の続編である。

福島原発から撒き散らされている放射性物質を巡って、その後の日本人は真っ二つに分かれてしまった。副島隆彦を代表とする「放射能怖くない派」と、飯山一郎を代表とする「放射能怖い派」とにである。さらには、親子・兄弟・親戚・友人・知人の間でも、「放射能怖くない派」と「放射能怖い派」とに別れてしまい、「原発離婚」なる新しい言葉も誕生したほどだ。

筆者は「放射能怖い派」であり、飯山一郎氏の行動を支持する。今回は、その飯山一郎氏も参加している新コミュニティを紹介しよう。以下は件の新コミュニティの管理者からのメッセージだ。

「乳酸菌等で真剣に被曝対策を考えている方へお薦めのコミュニティを紹介します。詳細はhttp://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13181941の373番の投稿を参照して下さい。何と、あの飯山一郎先生もメンバーです!」

小生も幸い参加させてもらったが、放射性物質地獄の日本、特に東北関東圏に住む者にとっては、己れと家族を放射性物質から守るという「」の観点からの情報が、連日交わされているのは心強いと思った。また、「乳酸菌」は無論のこと、「焼き塩」、「空気清浄器」など、放射能地獄で生きていくために不可欠な「」の情報も満載だ。

それだけではない、「」(メンタル)の情報(お話)が時折流れて来るところに、同コミュニティの人間味というか温もりを感じる。例として、今朝(11月8日)は以下のような記述が目に止まった。一見、放射能対策と無関係のようだが、今までのモノに支配されていた世界から、ココロで満たされた世界に移行することが、これから生きて行く上で切なことを、暗に示したメッセージとなっている。

足るを知るということは、今現在自分が置かれている環境が感謝でき、幸せだと思える心を持っていることです。

そしていまの幸せを土台にして、みんなでその上に
夢と希望を積み上げていくことで、未来にむかって
成長し続けることが出来ると思います。

大勢の読者の参加を期待したい。


生命の設計図

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本日は 11/11/11 と区切りが良いので、今までのブログ名「教育の原点を考える」から「舎人学校」に変更した。その記念すべき日の初記事として、『みち』250号(平成19年5月15日号)に掲載された、天童竺丸氏の記事を以下に転載しておきたい。なぜなら、自分が今進んでいる道で間違いないことを教えてくれたのが、同記事に他ならないからだ。

巻頭言 栗原茂「生命の設計図、それが神である」 天童竺丸
●分子生物学者の渡辺格さんが「生命の設計図は遺伝子の構造の中にない」と言われたことについて本欄で少しく考えを記したところ、同志の栗原茂さんから「渡辺格さんと直接会って話をした」と教えられた。聞き捨てならぬことである。

 それについて、ぜひとも栗原さんにじっくり話を聞きたいものだと願っていた矢先、何と栗原さん自ら渡辺さんとの話を踏まえ「生命の設計図はどこからくるか」という問題について一大論文を書き上げ贈って下さった。

 それはA4判用紙に一行四一文字、一枚四〇行の体裁で書かれ、全体では前文を含めると一六頁になる。ざっと計算しただけでも、原稿用紙にすれば六〇枚以上にも及ぶ、大へんな労作である。それも、先の巻頭言を読まれてからほとんど時間の経たない内に届けて下さった。一気に書き上げられたもの思われる。

 おそらくは拙文の隔靴掻痒的な稚拙さとズバリ的に迫れない逡巡とを見るに見かね、自ら筆を執って結論を下されたものと推察する。

 栗原茂さんが「生命の設計図はどこからくるか」という問題に対し下した結論は、「それは神からくる」というものだった。

●栗原茂さんが渡辺さんに直接会ったのは今を去ること一八年前の平成元年のことだった。ちょうど昭和天皇が崩御されて年号が平成に改まった年の秋であった。実はそのとき、もう一人の碩学がいて、話は三人の鼎談の形式で行なわれたという。その辺りの消息について、栗原さんから戴いた文章から引用させてもらう。(原文は句読点を限りなく省略した難解な文章であるため、読者の便宜を考えて句読点を付加し、一部の語句を改変したことをお断りしておく)

 渡辺格七三歳と出会うのは同年秋、場所は藤井尚治六八歳が瞑想を行なう所で、およそ二時間の坐禅の後に約二時間の鼎談が続いた。議題は宇宙生命の本質について。相互の意見交換を行なうことで空間を埋めたが、刻まれる時間は、世俗が支配される交流回路とは異なって、天空を透過する直流回路のごとく無駄なく働いた。

 ここに登場する「藤井尚治六八歳」とは、銀座内科診療所院長として永く著名であった。同時に、早くにハンス・セリエ博士のストレス学説に注目し日本におけるその研究と紹介に貴重な業績を残した人物でもある。

 懇切にも栗原さんがわざわざ持ってきて貸して下さった藤井さんの著書二冊のうちの一冊、『脱魂のすすめ』(一九八三年、東明社刊)の奥付にある「著者略歴」には次のように記されている。

藤井尚治(なおはる) 医師、法博
大正一〇年東京生まれ。
昭和一七年東京大学医学部卒、同精神科入局。
昭和一八年軍医として応召。
昭和二二年復員後セリエ博士に共鳴、杉靖三郎氏らとともにストレス研究に従事。
昭和三〇年銀座内科医院長。
昭和四六年財団法人ストレス研究会理事長


 そして藤井尚治さんは平成九年四月一九日、折しも数え年七六歳の誕生日に亡くなられた。

『還元主義を超えて』(一九六九年)でニュー・エイジ運動の旗頭となったハンガリーに生まれた亡命ユダヤ人、アーサー・ケストラーが来日したとき銀座内科に藤井さんを訪ねてきて歓談を尽したというエピソードは、藤原肇・藤井尚治『間脳幻想』(東興書院、一九九八年刊)で読んだことがある。直接お会いしたことはないので、同書に纏められた対談および「あとがき」から得た印象だけに頼っていえば、まさしく機略縦横、天衣無縫を地で行くような天才肌の人である。

 藤井尚治さんについて、栗原さんはこう書いている。

 藤井はノーベル賞ノミネートの評議を求められる立場にあるため、デルブリュックを含め訪日学派の目的を本人に聞くまでもなく知り得ており、決して自らの立場を明かさない。当然渡辺も、藤井が何者かは表面上のことしか知り得ない。

 その藤井尚治と渡辺格と栗原茂とが交わした鼎談がいかなるものであったか。栗原さんはただ「刻まれる時間は、世俗が支配される交流回路とは異なって、天空を透過する直流回路のごとく無駄なく働いた」と素っ気なく伝えるのみである。

●栗原さんから渡辺格と話したという話を最初に教えられたとき、渡辺さんが「生命の設計図は天空から来る」という意味のことを語った、と聞いたと思って、先に「遺伝子の構造の中に生命の設計図はないと断言された渡辺さんは、ではどこから生命の設計図は来るのか、ちゃんと話をされていた。それだけは言える」と書いたのは、どうやら私の早とちりによる勘違いだったようである。

 というのも、栗原さんが次のように書いて教えているからである。

 参考に値しない現代ジャーナリズム主義から報道される情報は、渡辺に限らず発信が誰であれ、すべて意の制御が利かない情と知の先行だと知るべきである。

 筆者の知る渡辺は、現代学術に多くの矛盾を指摘しうる能力を備えていたが、学派という無理からぬ生き方もあり、相当の悩みを抱えストレスに苦しんでいた。それが生命の儚さに通じる死霊の研究とも共感するのだろうが、神の正体が本義の時間と空間に刻まれる情報とは気づかずに、鬼籍に入ることとはなった。(合掌)

 つまり、栗原茂さんの考えによれば、傍線を施した所にあるように、神とは「本義の時間と空間に刻まれる情報」であり、後に詳しく紹介するように、「その神から生命の設計図は来る」と言えるのだが、渡辺格さんはそれに気づいていなかった、と手厳しい判断を下していることになる。

 実証を旨とする分子生物学者として、渡辺さんが神を持ちださなかったのは一種の学者的良心だったともいえようが、現代科学の矛盾と限界に気づいたからには百尺竿頭をさらに一歩進めて、現代科学を乗り越える地平に立つべきであった、というのが渡辺さんと鼎談を交わした栗原さんの思いであるようだ。

 だから、栗原さんは次のように批判する。

 渡辺が「遺伝子の構造の中に生命の設計図はない」と断言しうる根拠は、分光のスペクトルを観測する法に卓越したからで、フィンランドに行って電子立国を手助けした窪田規(くぼたただし)も同じであって、色の観測法に優れた者なら等しく知るところであり、あえていうなら、物理化学の基本なのである。

 ただし、理を学ぶ術の分野に生きる学派は、言霊を批判あるいは懐疑的に捉えて成り立つ職能集団であるゆえに、核心を突くことができない。もっぱら科(とが)を学ぶ術の制度により、細分化された学派が競い争うことから、総論賛成・各論反対という無責任な態度に終始するのみである。

 したがって、渡辺が「遺伝子の構造の中に生命の設計図はない」と断言はできても、「では生命の設計図はどこから来るか」という問題に答えを出せないのは仕方ない。

 生命の設計図について鼎談の中で出現した回答は、渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者の見解でもなく、悠久の時間を刻む空間の中に身を浸した者のみに運ばれてくる情報であり、言葉を換えて言えば、その情報こそが神なのである

 文章の表面的な字面だけに拘るなら、これは見神の体験を語っているように受けとれるかも知れない。もしそうであるなら、神を見るという神秘体験を経験したことのない者には、想像するだにできない無縁な話ということになるだろう。

 だが、奇しき縁あって日ごろ親しく薫陶をいただいている私には、これが単なる神秘体験を語ったものではないことが分かる。神秘体験だけならば、言葉になりえないもので、あえて言葉にするにしても、こういう文章でなくもっと象徴的にしか語れないはずだ。栗原さんはそうではない。神秘体験は確かにあったのだろう。だが、それを開かれた言葉に表現すべく、栗原さんが壮大な努力を重ねてきたことを、私は知っている。

 ここで注目すべき個所は二つ、傍線を引いた部分である。ただ最初の言霊云々の部分は、栗原さんが言霊理論に刮目してメンデレーエフの元素周期表を読み替え、その足らざるを補うという難業を完遂したことを知らなければ、ほとんど意味をなすまい。

 栗原さんの日ごろの教えは、言霊の考えこそが現代科学を乗り越える鍵であるというものだが、日本語の一音一音に意味があることにやっと気づいた私としては、言霊について一知半解の言辞を連ねることは差し控えて、後日に期すというほかない。

 ただし、後段の傍線部については、私にも言えることがある。不思議にも、栗原さんに会うと、何も言葉を交わさなくてもビンビンと響いてくるものがある。私の中の何かが共振して止まない感じなのだ。共振し合うのかどうか、それは分からない。栗原さんの方の反応が審らかでないからである。

 そのかすかな手がかりを頼りに言うのだが、ここで栗原さんは、「生命の設計図がどこから来るか」という問いそのもの、問いの立て方自体が間違いだと言っているように思われる。

 生命の設計図がどこから来るのかと尋ねることはどこまでも原因を求めていく一種の還元論に陥ることである、との洞察が栗原さんにあるのだと考えられる。

 だから「その情報こそが神である」という言葉が出てくるのだ。そして、前の引用個所(傍線部分)で、神の正体を「本義の時間と空間に刻まれる情報」だと言っているのとも符合する。

 生命の設計図がどこから来るのかという問いに即していえば、生命の設計図はどこからも来ない、生命の設計図そのものが神なのだから……というのが、栗原さんの感得ではなかろうか。 

 そしてそれは、「渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者の見解でもない」と言っていることにも連動している。個人が立てた学説とか見解ではないとすれば、その場にいた者に感得された何かであろうと推測するしかない。

 ただ、生命の設計図がどこから来るかと問うことを止め、設計図そのものが宇宙を形づくる「情報」の一環だと捉えることは、大逆転の発想だと言わなければならない。

 だが、「本義の時間と空間に刻まれる情報が神の正体である」と言われても、難解すぎてすぐには理解できない。ここに使われている「情報」という言葉からして、われわれが普段使っている内容とは違う意味を孕んでいるようである。

 それは栗原さん自身もよく分かっている。だからこそ、わざわざ原稿用紙六〇枚以上にも垂んとするメモを届けて下さったのである。

●本論に入る前の注意書きとの意味で表裏二頁の「前文」を書いて下さったと思われるが、その前文の部分に普通の論文なら結論部に来るような洞察が満ちている。

 すなわち、設計図は元より実証なくして描けるものではない。生命とは混沌から発するものであるが、その混沌もまた自らを制御しうるエネルギーをすべて備えているのである。

 例えば、銀河系から誕生している太陽系に限定してみても、悠久の時間と空間がなければ生まれ出るわけもなく、時空に刻まれる情報(実証)なくして、設計図など描きようがないのである。

 さらに、地球生命についてみても、陽光が水を生み出す空間の距離関係から、水に相応しい生命の禊祓を通じて悠久の時間を刻む細胞一個ずつに遺伝情報が刻まれる。

 ただし、遺伝子は太陽と地球と月、つまり混沌が整備に向かう過程の情報を所有しなくても生きられるという特徴をもつ。なぜなら、遺伝子とは染色体一部の生命であり、地球本体に対応する大気圏がなければ、生きていける根拠がなく、また水の星を補佐し補完する月の働きなくして生きていける根拠がなく、禊祓なくして染色体は生まれないからである。

 難解な文章であると白状しなければならない。よくよく注意して、前後を睨みながら読まなければ、意味が通らない。

 たとえば、ここに言われている混沌は「自らを制御するエネルギーをすべて備えている」とあるが、もしそうであるなら、混沌とは秩序と同義であることになる。われわれの通常の言語では、混沌と秩序は正反対の意味をもつ対立語なのだが……。

 能う限り栗原さんの意図に則しつつ真意を推し量ることで、何とか前後の脈絡をつなげていくしかない。

 群盲象を評すの愚に陥ることを覚悟でいうのだが、太陽系の誕生からして悠久の時空に刻まれる情報がなければ実現しなかった、というのが栗原さんの言いたいことであろうか。

 さらにいえば、太陽系のみならず、銀河系の誕生そのものも、この悠久の時空に刻まれた情報がなければ誕生しなかったと言えるのではないか。

 だが、「水に相応しい生命の禊祓を通じて悠久の時間を刻む細胞一個ずつに遺伝情報が刻まれる」とは、にわかには理解の及ばない表現である。

「水に相応しい生命の禊祓」とは何か。「悠久の時間を刻む細胞」とは何か。通常の常識ではとても歯が立たないと諦めたくなる気持ちにも駆られる。

 だが、ここには大事な何かがある。どうしても分からなければ、栗原さんを捕まえて、一語一句について意味を尋ねることも、幸いなことにできないわけではない。

 それに、ただ私のためにこれほどの労を惜しまれなかった志に応えるためにも、この難解な文章に立ち向かい、誤解を恐れずに私なりの理解を通さなければならない。栗原さんが下さったこの一文は、これまでのささやかな営みの次なる第一歩に必ず繋がるという確信があるからである。

『日本の宿痾』

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B120121一度だけお会いしたことのある角田儒郎氏が、『日本の宿痾 大東亜戦争敗因飲む研究』と題する、350ページ以上にも及ぶ浩瀚な新刊本を出版するということで、このたび数名の同志と共に同書の校正を引き受けた。本業(翻訳)の合間の校正だったとはいえ、予定日数を大分オーバーしてしまったのは、内容的に惹かれる個所が多い本だったからだ。なかでも印象に残ったのは以下の行である。

__________
わが国の滔々たる洋化の流れの中で急速な堕落に至らなかったのは、何よりもご皇室が健在だったということと、まだ官民ともに、武士道の高い精神が消えることなく残っていたからである。(p.330)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
これは幕末明治の近代日本について述べた行だが、『月刊日本』の執筆陣、とりわけ落合莞爾氏、山浦嘉久氏、佐藤優氏の三氏による寄稿、さらには皇室インナーサークルの栗原茂氏の話から皇室本来のお姿を知りえただけに、「何よりもご皇室が健在だった」という角田氏の言葉に大いに頷けるものがあった。

以下の仁徳天皇の御製…

高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり

ここにこそ民を思うお気持ち(大御心)が表れており、これは昭和聖徳記念財団が今年発行した『昭和天皇御製カレンダー』の冒頭の御製「あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり」、さらには東北御巡幸時の今上陛下の「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」と、根底で相通じていることは言うまでもない。

大御心と絡めて、角田氏はデモクラシー(民主主義)について以下のように述べている。

__________
デモクラシーの本義が「民意の尊重」にあるならば、それはまさにわが国の伝統だったのであり、何もいまさら欧米に教えを乞う必要などはなかったのである。(p.324)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

この民主主義なる制度は、はたして理想的な政治形態だったのか」(『日本の宿痾』p.322)と疑念を持った角田氏は、戦後の日本人が無条件に受け入れてきた民主主義の見直し作業を行い、ついには民主主義の正体を見抜いたのであり、それが上記の言葉となった。

ともあれ、敗戦後から半世紀以上もの時間が経過し、「もともとわが国には、百姓(おおみたから)を大切にするというご皇室の伝統があった」(『日本の宿痾』p.322)現実を忘れている人たちが多いことを鑑み、敢えて刊行前の角田氏の書籍を取り上げてみた。

民をあはれむ

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昨年の1010日、筆者は「平成24年度の御製カレンダー」という記事を書いた。その時、「112日の歌会始の儀において、今上陛下の御製、皇后陛下の御歌、皇太子殿下の詠進歌以下が講ぜられた後、平成24年度のカレンダーの昭和天皇陛下の御製を組み合わせて立体構造にすることにより、皇紀暦2672年(西暦2012年)の大きな流れが掴める」と書いた手前、ここに立体構造の構築を試みてみよう。

最初に、平成24年度の御製カレンダーに掲載されている御製は以下のとおりである。

昭和天皇

あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり

もえいづる春の若草よろこびのいろをたたへて子らのつむみゆ

うつくしく森をたもちてわざはひの民におよぶをさけよとぞおもふ

国のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる

新米(にひよね)を神にささぐる今日の日に深くもおもふ田子のいたつき

静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ

次に、歌会始の儀で披講された御製・御歌・詠進歌は以下のとおりである。

天皇陛下

津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

皇后さま

帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

皇太子さま

朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ

皇太子妃雅子さま

春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く

秋篠宮さま

湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ

秋篠宮妃紀子さま

難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる

秋篠宮家長女眞子さま

人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり

常陸宮さま

海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり

常陸宮妃華子さま

被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす

三笠宮妃百合子さま

今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ九頭竜川の岸の川原に

寛仁親王家長女彬子さま

大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか

高円宮妃久子さま

福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中

高円宮家長女承子さま

紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青

高円宮家次女典子さま

対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり

高円宮家三女絢子さま

海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる

以上、歌会始の儀で披講された御製・御歌・詠進歌の多くが、昨年の311日の東北沖大震災を下敷きにしており、先帝の御製「あらたまの年をむかへていやますは民をあはれむこころなりけり」に代表されるように、“民をあはれむこころ”で満ち溢れていることが分かる。

なかでも、筆者が注目したのが皇太子殿下の「朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ」である。先帝の「静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ」にある「あさぼらけ」と、皇太子殿下の「朝まだき」が根底で繋がっていることが分かるのだし、新しい一日の始まり、すなわち新しい時代が皇太子殿下によって始まる事を暗示しているのではないだろうか。特に、十和田湖は八甲田山の噴火によって出来たカルテル湖であり、北朝鮮の白頭山と八甲田山は白頭信仰で深く結び付いている。この白頭山信仰は「シベリア・シャーマニズム(ツラン)」が底流にある。

さて、スリーマイルおよびチェルノブイリを遙かに上回る史上最悪の福島原発事故により、日本全土が放射性物質に汚染されてしまった今日、サバイバル術の一つが飯山一郎氏の提唱する乳酸菌ヨーグルトと乳酸菌風呂である。その飯山一郎氏が2月15日「天皇陛下 万歳!(1)」と題した記事を書いた。

同記事の中で筆者が思わず息を飲んだのは、(放射性物質の為)「国民が死ぬときは、今上陛下もともに崩ず」という行だ。確かに、放射性物質は目に見えないものの、確実に我々の身体を蝕んでいることは否定できない。中でも最も恐ろしいのは内部被曝であり、これについては肥田舜太郎氏と鎌仲ひとみ女史が著した、『内部被曝の脅威』(ちくま新書)を一読すれば内部被曝の恐ろしさが十分に分かるが、さらに恐ろしいのはそのために最終的に大和民族が滅亡してしまう可能性だ。万一にも皇統が絶えることがあれば日本人は精神的支柱を失い、延いては民族としてのアイデンティティすら失うことを意味する。そこで、皇室と大和民族の行く末を見極めるため、2月24日に同志と一緒に栗原(茂)さんを訪ねた。

半日近くにわたって栗原さんの話に耳を傾けながら、まさに皇室インナーサークルでなければ窺い知ることのできない深奥の情報の提供を受けた。そして分かったことは、女系宮家、雅子妃、愛子様、悠仁親王殿下等の件を含め、昨今の大手マスコミやインターネットを賑わしている、皇室に関する喧しい賛否両論は殆どが絵空事にすぎないということである。さらに、「天皇陛下 万歳!(1)」の記事にある飯山一郎さんや小生のような心配のし過ぎも不要である。ブログ[木庵先生の独り言]の木庵氏が語っているように、われわれ民は単に「東日本震災のときの、天皇陛下と皇后陛下の被災者の方に心から同情なさっている姿を鏡にして、己もあのようにへりくだりたい」という気持ちでいれば十分なのだ。

『これから50年、世界はトルコを中心に回る』

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 B120302佐々木良昭氏が著した左の新書を読了し、書名の「これから50年、世界はトルコを中心に回る」という理由も納得出来たし、トルコと繋がりを持つ日本の企業や個人が増えていくに違いないとつくづく思った次第である。さらに言えば、同書は日本の企業の長期的な企業戦略に有益な情報をもたらすだろうし、個人レベルでもトルコと繋がりを持つ人たちが今後は増えていくと思われるので、そうした人たちにとってトルコとの架け橋的な存在の本になることだろうと思った。

一般にトルコは親日的だと言われている。そのあたりの理由を同書では以下のように述べている。

1. 日露戦争における東郷平八郎司令官、乃木希典将軍の功績(p.161

2. エルトゥールル号遭難事件(p.162

このあたりは近代史に関心を持つ読者なら説明の要はあるまい。注目すべきは以下の著者の言葉だ。

__________

 以上二つの出来事が日本とトルコを親密にさせたわけだが、実はそのはるか以前から、両国の間にはただならぬ因縁がある。

 6世紀の中央アジアに突厥という遊牧国家があった。

 一時はササン朝ペルシアと共闘して一大帝国を築いていたのだが、583年に内紛により「東突厥」と「西突厥」とに分裂し、唐の攻撃によって東突厥は600年代に、同じく西突厥は700年代に滅びている。

 滅亡後、突厥の民の一部は西に向かってオスマン帝国の民となり、また一部は東に向かって日本に渡り、日本民族に溶け込んだとされている。

 もしそうであれば、オスマンの末裔であるトルコ人と日本人は「突厥」という同じ根っ子を持っていることになる。世界の民族学者の中には「日本人とトルコ人は同族だ」という認識を持つ者もいるほどだ。

 なお、その「突厥に住んだ人々は「ツラン」とも呼ばれている。

 「日本人もトルコ人も同じツランじゃないか」

 という言い方をされることも少なくない。(p.164165

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 関連して、謎の民族とされているシュメールの末裔こそがツラン、すなわち突厥をはじめとする中央アジアの遊牧民族であると喝破した人物がいる。文明地政学協会の天童竺丸氏である。天童氏の説については、『放知技(ほうちぎ)』という掲示板のスレッド「ツランという絆」で紹介したので、関心のある方は同スレッドのNo.138以降を一読願いたい。

佐々木氏の新書と「ツランという絆」で紹介した天童説とを繋ぎ合わせてみると、明らかにシュメール民族が中央アジアの遊牧民族の遠祖であり、さらには日本民族もシュメール民族の血を受け継いでいることが分かるのではないだろうか。

 

なお、佐々木氏のブログによれば、「あるテレビ局がこの本をベースに特別番組を作ることが決まりました。3月中の取材、4月初旬の放映のようです」とのことであり、期待したい。

[トルコに関する本を出版しました」


『発酵マニアの天然工房』

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B120303昨日の雛祭りに地元の同窓生が7人ほど居酒屋に集まり、酒を酌み交わしながら老親のこと、自分たちの老後のこと、子どもたちの将来などが話題に出た。そして、いつしか話題が福島原発事故に展開していった。かつて、ある所で福島原発の話題が出たとき、飯山一郎氏の乳酸菌風呂や豆乳ヨーグルトを話題に持ち出したことがあるが、気違い扱いにされた苦い体験をしているので、その後は乳酸菌に関する話題を人前で出すことは滅多になくなった。それでも、昨日集まった同窓生は瓦礫の処理などについて自説を述べる者もいたし、サムライを昔から知っている連中ばかりだったので、久しぶりに乳酸菌風呂や豆乳ヨーグルトについて話題に出してみたのだった。

ともあれ、楽しい一時だったが、帰宅してから『発酵マニアの天然工房』(きのこ著 三五館)を紹介するのを忘れていたのに気づいた。

筆者は東京都心は最早人間の住む所ではないと思っている。その点、飯山一郎氏も同意見のようだ(◆2012/02/29(水) 頭狂から逃げ出す大企業!?)。しかし、仕事や学校といった理由で、東京を脱出したくても脱出出来ない人たちが多いのも事実だ。では、どうするか? 筆者が思うに、現時点で出来る最善の策は飯山一郎氏の唱える「乳酸菌風呂」、「乳酸菌豆乳」、「乳酸菌掃除」だと思う。乳酸菌の作り方などは飯山氏のホームページを読めばいいが、むしろ『発酵マニアの天然工房』を入手して、そのまま書いてあることを実践する方が遙かにベターだ。「乳酸菌風呂」、「乳酸菌豆乳」、「乳酸菌掃除」だけでなく、乳酸菌を使って洗濯をしたり食器を洗ったり出来るということも書いてある。また、市販のシャンプーの代わりに乳酸菌で髪の毛を洗ったり、歯磨き粉ではなく乳酸菌で歯を磨いたりするという話も興味深い。

ともあれ、『発酵マニアの天然工房』は家庭の主婦にとって役に立つ情報が満載というだけではなく、親しみやすいイラスト・図・写真が沢山あって読みやすい実用的な本だ。無論、男連中にとっても役に立つ記事もある。たとえば、「おいしい『お酒』の世界(p.54)というページ…。

お酒…、あれ、きのこちゃんは18歳じゃなかったっけ…、お酒は二十歳になってからだぞ…、なんて固いことは小生は言わない(笑)。ともあれ、大切な我が子を放射性物質から守る最良のバイブル『発酵マニアの天然工房』は、各家庭に1冊備えておきたい本だ。

『横田めぐみさんと金正恩』

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B120228国際アナリストの飯山一郎氏の新著『横田めぐみさんと金正恩』が、衝撃のデビューを果たしてから早くも2ヵ月近くが過ぎた。発売当時は大都市の大型書店でしか入手できなかったので、筆者は池袋の大型書店まで買い求めに上京したほどで、アマゾンといった大手のオンラインショップですら入手困難な本であった。今ではネットでも入手できるようになり、かつ売れ行きが好調とのことだが、それにしても一体全体どうして同書に注目が集まるのか? その理由として幾つか挙げられると思うが、著者の見るところ主なものは以下の2点だ。

(1)金正恩の母親が横田めぐみさんであると主張している“奇想天外な”本であること(同書p.178

(2)出版を巡って多くの謎に包まれた本であること。

最初に(1)だが、金正恩の母親が横田めぐみさんであると飯山さん同様に主張している識者は、周囲を見渡す限り『月刊日本』誌の山浦嘉久氏くらいのものだ。

ここで、右翼の動きに詳しい人の話によれば、依然として拉致問題を“引き起こした”とされている金正日を、徹底的に憎んでいる右翼が殆どというのが現実なのだ。ところが、ここへ来て一水会の最高顧問である鈴木邦男氏が、同書について数本のツイートで言及していることが分かった。これが右翼の北鮮観に、どのような影響を及ぼしていくか注目していきたい。

次に(2)の「決定からわずか二週間で出版されたという謎」であるが、『月刊日本』3月号(p.49)で山浦嘉久氏が以下のように述べている。

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今回、飯山一郎氏の著書が急ピッチで、多額の資本を投下して出版された背景には、莫大なユダヤマネーが動いていたと推測できる。

そして、横田めぐみさんがついにその姿を現した時、世界史を揺るがす、日本・北朝鮮・ユダヤを巻き込んだ地殻変動が起こるだろう。

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ここで注目すべきは“ユダヤマネー”である。このように書くと、また“ユダヤ陰謀論”かとウンザリする読者も少なからずいると思うが、取り敢えずは『横田めぐみさんと金正恩』の「在朝日本人と移住イスラエル人」の章(p.53)に目を通して戴きたい。

B120304要は、1930年代に日本で進められたユダヤ難民の移住計画、すなわち河豚計画がここに来て再び蘇ろうとしているのだ。なお、英語の本だが『The Fugu Plan』(マーヴィン・トケイヤーおよびメアリ・シュオーツ共著)があり、ユダヤ人ラビのトケイヤーも「河豚計画を裏舞台で推し進めているグループ」の一員であったことを匂わせる本なので、関心のある方は紐解いてみると良いかもしれない。

最後に、飯山氏が連載中の「金正恩の恐るべきIT戦略!」に目を通すことをお勧めしたい。筆者は飯山氏の掲示板『放知技』で立ち上げた「ツランという絆」というスレッドで、『横田めぐみさんと金正恩』の白眉は、「金正恩の超小型水爆とは?」の章(p.67)だと書いたが、「金正恩の恐るべきIT戦略!」ではさらに驚愕の北鮮関連の軍事情報が展開されている。一例として(12)の「光ファイバーによる世界最先端のイントラネットを全土に、しかも4セットも、構築してしまった」という発言だ。山浦嘉久氏が日本人で最も北鮮を知る男として高く評価している飯山氏の発言だけに、筆者も情報の内容は本当であると判断して差し支えないと考えている。

さて、筆者は「ツランという絆」で『横田めぐみさんと金正恩』の続編として、ツランを取り上げて欲しいと書いた。しかし、考えてみればツランという存在が世の中に広まると困るのが、河豚計画を推し進めている宮廷ユダヤなので、出版の資金が出るわけもなく諦めるしかない。

B120229なお、この宮廷ユダヤだが、彼らを背後で操っていると思われる集団について述べた貴重な書籍を筆者は入手した。天童竺丸氏の筆による『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』で、400ページ以上にも及ぶ浩瀚な本だ。この本は、実は1冊しかこの世に存在していない幻の本である。もともとは栗原茂氏が機関誌『みち』に「アッシリア文明史論」を執筆するにあたり、参考資料として過去の『みち』に連載した天童竺丸氏の「悪の遺産ヴェネツィア」を、天童氏自らが1冊に纏めたものである。そこで、「アッシリア文明史論」の連載が昨年末で終わったのを機に、栗原氏に頼んで同書を譲ってもらったというわけである。現在読み進めているが目から鱗の連続であり、近いうちに読後感を本ブログに書きたいと思っている。


『西郷の貌』

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B120308高橋信一先生からメールが届き、加治将一氏が新著『西郷の貌』を祥伝社から出したという連絡を戴く。早速、小生も同書を斜め読みしてみたが、フルベッキ写真に明治天皇、岩倉具視親子、横井小楠らが写っていると相変わらず信じ込んでいることを知り、どうしようもない作家先生だと呆れる思いであった(『西郷の貌』p.76)。

また、同書に「天皇という虚構」(p.57)という一節もあるので目を通してみたが、一読して山崎行太郎氏の「マンガ右翼・小林よしのりへの退場勧告」に登場する、小林よしのり氏の天皇観を彷彿させるに十分だった。加治将一氏は1948年生まれ、小林よしのり氏は1953年生まれと、二人ともマルキシストの影響を強く受けた日教組の申し子だから、あのような天皇観を持つに至るのも無理もない。

ところで、加治氏は「万世一系は虚構である」と主張しているが(p.63)、このあたりは小生が喜んでセッティングするので、尊皇派の栗原茂氏と堂々と議論をして欲しいと切望する。それとも、『西郷の貌』はあくまでも小説だと逃げるのかな…(苦笑)しかし、掲示板でハンドル名をコロコロと変えるような連中と較べれば、まだ加治氏は潔いと思う。ハンドル名を変えても、分かる人には分かるものである。

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一人の人間がどんなに言葉を変えても独特の癖が出てしまうんです。人間一人の脳みそで何十人もの書き方は無理なんです。どうしてもパターン化します
http://maglog.jp/nabesho/Article1374632.html
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加治将一「西郷の貌」の問題点

高橋信一

 前作「幕末維新の暗号」の妄想を正当化したいと、いろいろな写真を漁っていることは理解出来るが、歴史の事実の検証能力の不足は解消していないと思われる。不足分を空想で補う手法は変わらない。それが作家の役割と言ってしまえば、その通りである。様々な歴史の周辺状況を書き込んでもっともらしさを演出しているが、ここでは写真関連についてのみ問題点を指摘することにする。
 70ページに掲載された写真は、元治元年12月から慶應元年1月にかけて薩摩藩主島津忠義の名代で島津久治と珍彦が長崎のイギリス艦隊を表敬訪問した時に、上野彦馬のスタジオで撮影された写真であることは以前から知られていた。この「島津久治公一行」の写真は「フルベッキ写真」が撮影された明治元年より4年先立つ元治年間に作られた上野彦馬の初期のスタジオのひとつで撮影されたことを如実に表している。このスタジオは一部改造されながら使われ、慶應3年始めに坂本龍馬の有名な立ち姿の写真の撮影にも使用されたものである。本文の中で、作者は鹿児島の博物館の職員に「全員の名前は知られている」と言わせているのに、事実を真面目に検証しないまま勝手な当て嵌めを行っている。使用した写真は解像度が悪く、オリジナルのものではないと思われる。オリジナルはイギリスの古写真研究家テリー・ベネット氏の「Early Japanese Images」に取り上げられている。
 島津久治の長崎訪問については「写真サロン」昭和10年12月号で、古写真研究家の松尾樹明が「写真秘史 島津珍彦写真考」として説明しており、写っている人物数名を明らかにしている。また、昭和43年刊行の「図録 維新と薩摩」には13名中11名の名前が上げられているが、西郷隆盛従道兄弟、樺山資紀、川村純義、東郷平八郎らは含まれていない。唯一、仁礼景範のみが当っていることには敬意を表したいが、他の既に知られた人名が間違いであると言える根拠を示すのが先決ではないか。解像度の悪い写真を用いたため、似てもいない右端の人物「床次正義」の顔を「フルベッキ写真」の「黒マント」の男と同一視している。ふたつの写真の撮影時期が近いというなら、両者は酷似していなければならない。「島津久治公一行」の写真に写っている「床次正義」の家紋は西郷家の「菊」ではない。
 東郷平八郎の伝記を確認したが長崎に留学した記録はない。彼が慶應元年に留学した証拠として長崎県立歴史文化博物館所蔵の松田雅典が伝えた「英学生入門点名簿」を上げているが、これは長崎奉行所管轄の「済美館」教師柴田昌吉が運営していた私塾の学生名簿であり、柴田が慶應3年4月に幕府に徴用されて江戸に出た後を継いだ兄の松田雅典が残したものであることは名簿中の記載から明らかである。「済美館入門学生」の名簿ではない。名簿には慶應元年9月に入門した人物として曽我祐準の名前があるが、「曽我祐準翁自叙伝」にある「この年5月に長崎に出て柴田塾に入門した」という記述と符合する。その他の同時期の柴田塾入門学生として、曽我が親しくした十時信人、関沢孝三郎、江口栄治郎、柘植善吾が符合する。その名簿に記載されている「東郷平八」が東郷平八郎であるかどうかは別にしても、この人物が入門したのは、名簿の記載状況から慶應元年でなく、慶應3年4月以降であると言える。「名簿」をしっかりと隅々まで読み直すべきである。
 その他の間違いは343ページの三条実美と岩倉具経が写る写真の解釈である。前作の発表の際にも私が「教育の原点を考える」ブログで指摘したことだが、無視している。こちらの写真は明治2年8月に来日したオーストリアの写真家ウィルヘルム・ブルガーが長崎の上野彦馬の「フルベッキ写真」のスタジオを借りて撮影したステレオ写真の片割れである。全体像を示せば、ステレオ写真のホルダー兼用の台紙にはブルガーの記名の印刷が見えていたはずだが、都合が悪いと見て掲載時にトリミングして隠してしまったのである。三条がこの時東京にいたのは自明である。
「フルベッキ写真」が撮影されたスタジオは明治元年以降に本格的に使用されたものである。慶應元年前後には存在しなかったことは「島津久治公一行」の写真を例にして明白である。撮影時期を混乱させるのはいい加減にしてもらいたい。
(平成24年3月6日)

左の写真は『西郷の貌』(p.366)に載っているもの、高橋信一先生が訂正した写真は以下のpdfファイルで確認のこと。
13men 「saigo01.pdf」をダウンロード

『悪の遺産ヴェネツィア』

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B120229天童竺丸氏の『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を漸く読み終えた。読了してつくづく思うのは、己れを産み育んでくれた瑞穂の国・日本への天童氏の温かい眼差しであり、憂国の至情であった。そのあたり、以下の同氏の言葉にも滲み出ているのが分かる。

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あえて蟷螂の斧をもって、ヴェネツィアとは何なのかを考えることにしたのも、ヴェネツィアの「悪の遺産」が脈々として世界権力の現在の工作に生きているからであり、その歴史的実体の解明が日本にとって緊急に重要な課題のひとつであると信ずるからである。(『悪の遺産ヴェネツィア』p.10

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主題の「ヴェネツィア」だが、以下に天童氏が簡素に述べている。

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 地中海交易を中心に欧亜を結ぶ国際交易を支配し、その後ヴェネツィア党として英国の中枢を乗っ取って東インド会社を設立、アジア植民地を開拓し、アフリカおよび南北両米大陸の資源を手中に収めながら、両次の世界大戦と冷戦とによって露独日など民族主義国家を壊滅させたのち、米国を世界の警察権執行人として使嗾しつつ、経済至上の世界一元化を推進してきた寡頭世界権力の中枢を為す重要な系脈として、ヴェネツィアはこんにちなお依然として侮るべからざる存在である、と私は考える。(『悪の遺産ヴェネツィア』p.910

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ここで筆者が注目したのは「露独日など民族主義国家」の行である。ここ数年、ヴェネツィアが壊滅させたはずの露独日が、再び不死鳥のように蘇りつつあることから、ヴェネツィアが今度こそ露独日の息の根を止めようと、あらゆる手段を数年前から講じていることをご存じだろうか。そうしたヴェネツィアの気持ちを代弁しているのが、フランスの知の巨人ジャック・アタリのようで、コスモポリタン某が自身の掲示板に以下のように述べている。

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ジャック・アタリがフランスの放送で、「消滅への道をたどっているのは、日本とドイツとロシアだ・・・」と断言していたのを知り、これは凄い発言だと思った日が偲ばれますが、日本では。米国、中国、北朝鮮の没落を言う人が多いようです。

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コスモポリタン某には祖国日本への“温かい眼差し”が感じられず、ジャック・アタリの発言を褒めちぎっているだけで終わっているのは誠に残念だった。それは兎も角、ジャック・アタリの「露独日」という発言の裏を筆者なりに読み取れるようになったのも、天童氏の『悪の遺産ヴェネツィア』のお陰である。『悪の遺産ヴェネツィア』は世の中に1冊しか存在していないことから、同書に述べているヴェネツィアの“歴史的実体の解明”を、簡単な解説を交えて今後も時折読者にお伝えしていきたいと思う。それにより、ヴェネツィアの正体を一人でも多くの読者が知り、ヴェネツィアという凶暴な台風の今後の進路を予測し、十分な事前対策を講じるためのヒントにして欲しいと思う。

最後に、飯山一郎氏の掲示板『放知技(ほうちぎ)』で同書の「世界権力の正体を明かす」という章を筆者は紹介しているが、此処でも改めて紹介することで今回は終わりとしたい。

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●世界権力の正体を明かす

 前回までウェルフ家の消長を追ってドイツの黒い森や地中海、はてはパレスティナまでさんざん彷徨ってきた。やたらカタカナ名前がいっぱい出てきて、しかも同じ名前で父子だったり敵同士だったり、読みづらくて仕方がないとの苦情をさんざん頂戴した。

 そして何よりのご批判は、こんな西洋中世史の些細な事柄をいまさら読まされて、いま国家存亡の危機にあるときに何の意味があるのかというお怒りだった。

 ごもっともである。そして、そのお怒りに対しては、わが筆力の不足をただただお詫びするしかない。ただ、なぜにいまさら西洋中世史をなぞり返して、ウェルフ家という一貴族の歴史をたどってきたのか、弁明をしておく必要は感じている。それが改めて、本稿の意図をご説明することにもなるからである。

 歴史を偶然の所産と観る見方もあれば、特定の勢力の意図に基づいた人為の所産と観る見方もある。

 われわれは後者、すなわち世に謂う「陰謀史観」にかならずしも与するものではない。ひとつの意図で貫かれていると見ると、その意図に反する事柄や逸脱・祖語とも見るべき事件が歴史の随所に見られるからである。

 歴史はそれほど単純ではあるまい。大きくはこの地球の変動があり、ときどきに剥き出しになって人間を圧しつぶしてきた自然の猛威もある。また、敵対する強力な勢力が出現し彼らの前に立ちはだかることもあるだろう。ひとつの勢力の意図通りに歴史が作られたと見ることは、とてもできない。

 しかしまた一方、歴史をすべて偶然の所産と観るには、あまりにも暗合・符合するもの、出来すぎた事件が多いのも事実である。

 とくに「戦争の世紀」ともいわれ、戦争と殺戮に彩られた先の二〇世紀には、天然資源の独占を通して世界を支配しようという意図が数々の事件の背後に見え隠れする。そして、天然の膨大な資源に恵まれたアフリカ大陸がいま、数々の戦争と革命とクーデタと疫病とによる殺戮の果てに、荒涼たる死の大陸と化しつつあることを偶然と見るならば、それは知の怠慢であり精神の荒廃であると誹られても仕方あるまい。アフリカ大陸に住み着いていた人々は天然の富に恵まれていたがために、その富の纂奪・独占を狙う勢力の犠牲となって大量殺戮に処されたのである。

 二一世紀には彼らの邪悪なる意図の鉾先が、このアジアに向けられる徴候がある。すなわち、エネルギーをめぐっての血で血を洗う動乱が仕掛けられようとしているのだ。アフリカ大陸の悲劇はけっして他人事ではない。

 われわれは、世界の覇権的支配を意図するこの特定の勢力を、「世界権力」と呼んでいる。日本でも戦前からこの一派をユダヤ人と観て、「ユダヤの陰謀」なるものへの警戒を発した諸先輩があった。たしかにユダヤ人は世界権力の一翼を担う重要分子ではあるが、その本質はあくまで「宮廷ユダヤ人(ホーフユーデン)」に止まるというのが、現在の研究成果の教えるところである。すなわち、黒い貴族という主人に仕える従僕の地位にすぎない。

 それは、一介の運転手から米国国務長官へと成り上がりながらエリザベス女王に忠誠を貫いて爵位を得たヘンリー・キッシンジャーの役割に端的に見ることができる。また最近では、「金融の神様」ジョージ・ソロスもこうした「宮廷ユダヤ人」の典型的人物である。

 永年にわたって英国アリストテレス協会を牛耳った哲学者カール・ポッパーは、かつて一世を風靡したアダム・スミスやトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、チャールズ・ダーウィンやハックスレー兄弟、バートランド・ラッセルなどと同じく、英国ヴェネツィア党による世界支配のための理論を提供する御用学者である。

 その主著『開かれた社会とその敵』は自由な市場原理による競争社会という理論を掲げつつ、実は社会秩序ないし国家存在を目の敵にしてその破壊を指示する戦闘指令書だった。カール・ポッパーの忠実な弟子となり、恩師の過激な理論の祖述的実践者となったのが、ハンガリーに生まれたナチス協力ユダヤ人の息子であるソロスだった。

 ソロスは恩師の「開かれた社会」理論を実践する役割を与えられて、金融バブルを世界各国で仕掛けたが、ソロスの投資会社であるクォンタム・ファンドに原資を提供したのは誰あろう、英国女王その人である。

 英国女王の私有財産の運用を任されて実力を発揮したソロスは「金融の神様」などと畏怖され、またマレーシアのマハティール首相など各国指導者の怒りを買ったが、何のことはないインサイダー情報によるインサイダー取引の実行責任者だったにすぎない。

 注目すべきはソロスのもうひとつの活動である。彼は世界各国とりわけ東欧圏を中心に「開かれた社会基金」(Open society Fund)を創設して、「慈善事業」にも精を出しているといわれたが、じつはこの「慈善事業」なるものが曲者で、ソロス基金こそソ連の崩壊を導き、東欧圏の社会主義からの離脱を促進した「トロイの木馬」であったのだ。

 中共の支那に対しても、ソロスの「開かれた社会」工作は仕掛けられていた。その支那側の協力者が趙紫陽である。一九八九年に起きたいわゆる「天安門事件」は、このソロスによる中共政権解体工作に対し、鄧小平など当時の中共指導部が断固たる粉砕措置に出た事件である。

 汚れ役はもっぱら「宮廷ユダヤ人」に任せみずからは超然としているのが、英国女王を表看板とする黒い貴族である。その英国王室という表看板を掲げるに当たって、いかに永年の執拗な粒々辛苦があったか、その前端をつぶさに見るために、縷々ウェルフ家の歴史を本稿でたどってきたのである。ゲルフ領袖とされたウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となるには、永い永い紆余曲折の歴史がある。それこそ、「特定の勢力」の意図通りには、歴史が進まないという何よりの証拠である。

 そして、中世イタリアの都市国家の間あるいは貴族同士の争闘という矮小化された形で一般にも伝えられている教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いは、ドイツないしイタリアをも巻きこんで一大地中海国家へと国家的統合を目指す勢力に対して、これを分断し宗教的・精神的呪縛の軛に縛りつけてみずから地上権力としても君臨しようとするローマ教皇と国家間の分裂抗争こそ商売の最大好機と見るヴェネツィアとが結託して粉砕しようとした動きにほかならない。

 ダンテ・アリギエーリやニッコロ・マキアヴェッリが悲願としたイタリアの国家的統合を妨げた最大の障害は、ヴェネツィアという一都市国家とローマ教皇庁の存在であった。そしてさらに言えば、ローマ教会をして地上権力へと変質させたのは、ヴェネツィアの無神論的自由市場理論だった。

 この「市場経済理論」すなわち「自由交易理論」は、なにも英国ヴェネツィア党の御用学者たるアダム・スミスやカール・ポッパーらの発明ではない。もともとヴェネツィアの専売特許的主張なのである。

 キッシンジャーが唱えた「勢力均衡理論(バランスオブパワー)」とて、その地政学的粉飾を剥ぎ取ってみると、「自由にのびのびと商売ができるのが何よりいいのだ」というヴェネツィアの本音が聞こえてこよう。

 その本音はのんきに聞こえるかも知れないが、こと「自由交易」が犯されそうになるや、ヴェネツィアは本気になった。国家の存亡を賭けても、「自由交易」を犯す敵との戦いを敢然と挑んで止まなかった。第四次十字軍を誑かして東ローマ帝国を一時的に中断しラテン帝国を樹立したのも、トルコ帝国との度重なる海戦にめげなかったのも、「自由交易」という国家的悲願を守るためだったのだ。

 寡頭勢力による巧妙な支配の機構によってみごとなまでに自国の国家的秩序を保ちつづけた(もちろん例外的な国家危機もあった)ヴェネツィアは、イタリアないしヨーロッパの各国に対してはさまざまな粉飾を凝らした「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。

 イグナティウス・ロヨラのイエズス会創設とマルティン・ルターによる宗教改革運動の両方とも、そのスポンサーはヴェネツィアだった。ゲルフとギベリンの抗争では味方同士だったローマ教会の強大化を牽制するためである。宗教改革は外から仕掛けられた揺さぶりであり、イエズス会は内奥深く打ちこまれた楔に喩えることができよう。

 そしてさらに、このヴェネツィアの主張はみずからいっさいの歴史記録を残さなかったフェニキア=カルタゴが黙々孜々として実践したところのものである。

 メソポタミア文明とエジプト文明の狭間にあって海洋交易都市として繁栄したフェニキアの存在は、いまではアルファベットの元になるフェニキア文字の発明によってわずかに記憶されるにすぎないが、もし彼らをして語らしめれば、「自由交易経済」こそ人類発展の原動力であると言いつのって、まるでソロスの口吻を彷彿とさせるに違いない。

 ユダヤ人の王ダヴィデが思い立ちその息子ソロモンによって実現されたエルサレム神殿およびソロモン宮殿の建設は、設計から資材の調達、施工に至るまでことごとくテュロスの王ヒラムの協力なしには実現できなかったであろう。

 ソロモンの栄華をもたらした「タルシンの船」による交易も、いわばヒラムの勧誘による投資事業だったのだ。強権による独占を主張しないかぎり、投資家は多いほどリスクが分散されるのは古今の真理である。交易品の調達から交易船の建造、そして実際の交易事業まで、すべてはテュロスの王ヒラムの意のままに運ばれたに相違ない。

 二大文明の間隙に位置し交易で栄えたフェニキア海岸都市群は一時期ペルシア帝国に従属させられ、最終的にアレキサンダー大王によって破壊されたが、そのひとつテュロスは地中海全域に交易中継のための植民都市を建設しており、それらの中心だったアフリカ大陸北岸のカルタゴに拠って生きのびた。

 そのカルタゴは数次のポエニ戦争によってローマ帝国に滅ぼされたとされるのだが、実はカルタゴは亡びなかったというのが、本稿の仮説である。たしかに、アフリカ大陸北岸の植民都市そのものはローマによって徹底的に破壊されつくし、塩まで撒かれて地上から姿を消した。そして、カルタゴがスペインなどの各地に建設した交易拠点もローマに簒奪された。

 しかしカルタゴの遺民たちは秘かにローマや各地に潜入し、ジッと時の経つのを窺いつづけた。そして、ローマ帝国の分裂・衰退の時が来るや、アドリア海の深奥、瘴癘はびこる不毛の小島に忽然として姿を現わしたのである。

 フェニキア=カルタゴの遺民でなくして、誰がこのような悪条件の重なる不毛の地に都市を建設しようなどと企てよう。テュロスしかり、カルタゴしかり、ニューヨークしかり、彼らが拠る海洋都市は、「海に出るに便なる」ことが必要にして充分な条件であるらしい。彼らには、陸の民には窺い知れない嗅覚と美学とがあるのであろう。その不毛の地に都市国家を建設するために注ぎこまれた途方もない富と努力を想像すると、気も遠くなるほどだ。

 彼らを誰がヴェネツィアと呼びはじめたのか。自称か他称かは知らないが、VeneziaVeni- は紛れもなくローマ人がフェニキア=カルタゴを呼ぶときの名称Poeniである。V音とP音ないしPH音は相互に容易に転訛しうるからである。ローマに破壊され尽くしたカルタゴの末裔ヴェネツィアが、ローマを再建しようとするあらゆる試みを粉砕してきたのも、無理からぬところではある。

 二〇世紀はフェニキア=カルタゴの末裔たちが自らの最終的勝利を宣言して繁栄を謳歌した世紀であった。一八世紀に呱々の声を挙げた革命の嬰児は一九世紀の一〇〇年をかけてじっくりと養育され逞しい闘士へと成長を遂げる。そして二〇世紀に入ると、最初に血祭りにされたのが「新たなるローマ」を標榜していたロマノフ王家のロシア帝国であったのは革命勢力の本当の出自がどこにあるかを示して象徴的である。そして、「連合国」なる新たなる装いを纏った革命勢力は第一次の世界大戦によってハプスブルク帝国とトルコ・オスマン帝国を倒し、第二次世界大戦によって独第三帝国と日本帝国を解体させたのである。二〇世紀前半に各帝国に対する武力制覇を成し遂げた世界権力は執拗にも第三次世界大戦というべき金融戦争を各国に仕掛け、国家破綻を世界中に撒き散らかしてきた。そして二一世紀が到来する。「自由市場」「開かれた社会」「グローバリゼーション」を地球規模に蔓延させ、向かうところ敵無しとなったはずの彼らを自滅が襲ってくる。その運命や、如何に?

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悪の遺産ヴェネツィア(1)

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過日、天童竺丸氏が著した『悪の遺産ヴェネツィア』について簡単な書評を試みたが、いきなりヴェネツィアだの黒い貴族だのと書いても、何のことか分かって戴けなかったと思うので、以降数回にわたって解説を試みたい。

最初に筆者の場合、ロスチャイルドやロックフェラーなどの宮廷ユダヤを操る、得体の知れない“黒い貴族”(世界権力またはワンワールド)が存在していることは既に知っていたが、“肝心な黒い貴族”の正体がよく分かっていない状態であった。ところが、『悪の遺産ヴェネツィア』に目を通すことによって、長年の疑問が一気に氷解したのである。

B1203129年前、筆者の頭の中にあった世界権力像は、米国と英国というアングロ・サクソン、およびロスチャイルドやロックフェラーといった宮廷ユダヤの連合体であった。当時、「国際政治のすすめ」と題した記事を、某国際契約コンサルティング会社のウェブに掲載して戴いたことがある。その時に最も参考になったのが、『国際寡占体制と世界経済』(岩城淳子著 御茶の水書房)であった。同書の場合、ヴェネツィアについて言及していないものの、少なくとも“狭義”の世界権力を理解するには優れた書籍であったと今でも思う。当時の記事を以下に転載しておくが、何分にも大分長い記事のため、宮廷ユダヤについてある程度理解している方は読み飛ばして戴いて結構である。それにしても、今日に至って読み返してみるに、世界権力についての考察が未熟な記事であり、赤面の至りだ。

ところで、以下の記事に登場する物部氏の定義「アングロ・ユダヤ金融戦略」だが、物部氏は「米国は、英国、ユダヤ資本と組み、3者で、国際経済を牛耳る密約をした(これを「アングロ・ユダヤ金融戦略」という)と考えられる」と書いている。しかし、正しくは「ヴェネツィアに乗っ取られた英国、その英国の支配下にある米国、およびヴェネツィアに仕えている宮廷ユダヤ」なのだが、このあたりの解説は次回以降に回したい。

国際政治のすすめ(政治編)

物部一二三氏の筆による「日本人と日本国の現状と将来 -ミレニアム提言-」というシリーズが、『海援隊』に二年間にわたって連載されていた時期がある。筆者も物部氏のシリーズを毎月楽しみにしていた一人であるが、その中で「アングロ・ユダヤ金融戦略」なる言葉がしばしば登場していたのを読者は覚えておられるだろうか。今思うに、「アングロ・ユダヤ金融戦略」という言葉には実に不気味な響きがあった。そこで、本稿では「アングロ・ユダヤ金融戦略」にメスを入れ、「世界の政治・経済のエスタブリッシュメント(支配層)」のグランドストラテジー(大戦略)が、世界の政治・経済にどのような影響をもたらしているのかについて検証してみたいと思う。

最初に、物部氏の定義する「アングロ・ユダヤ金融戦略」については、以下に目を通していただきたい。

 
 

1980年頃、米国は、英国、ユダヤ資本と組み、3者で、国際経済を牛耳る密約をした(これを「アングロ・ユダヤ金融戦略」という)と考えられる。そこでは、「金融のビッグバン」と言う標語の下に、金融のアングロサクソン・スタンダード=グローバル・スタンダードを創り上げた。この戦略では、米英を益することを条件に、ユダヤ資本に国際金融のコントロール権を与えた。この結果は、地球上に、実体経済社会とは別に、金融経済社会を創り上げることになった。正に、新しい時代の資本主義(個々の資本主義からグローバル資本主義)制度の誕生が謀られたのである。米国と英国にとっては、自国通貨の過不足分を調整するユダヤ資本の才能は望むところであるし、ユダヤ資本に取っては、世界の実体経済を金融経済で完全にコントロールできる利権を取得することになったので、両者は完全に利害を一致させることができたわけである。

物部一二三著 「日本人と日本国の現状と将来 -ミレニアム提言-」

 

 1980年頃の米国と言えば、1981年にレーガン政権が発足し、1985年にプラザ合意が成立するといった一連の流れから想像できるように、「アングロ・ユダヤ金融戦略」すなわち米国主導の世界経済支配が確立した時期であった。そして、その米国の世界経済支配の一角を担ったのがシティ銀行、チェース・マンハッタン銀行といった多国籍銀行だったのである。また、その時期は金融分野をはじめとする多国籍企業同士の熾烈な競争が展開されたのであり、競争に打ち勝って生き延びていくために力のある多国籍企業同士が提携・合併を繰り返していった。無論、その陰で競争に敗れた力のない多国籍企業の屍の山が築かれたのは言うまでもない。そのあたりについての詳細は、広瀬隆氏が著した『アメリカの経済支配者たち』および『アメリカの巨大軍需産業』をはじめ、その他の国際政治・経済コメンテーターの書籍を参照されたい。なお、広瀬氏の場合は実際にロスチャイルド一族といったエスタブリッシュメントとの交流があったわけではないため、アメリカおよびヨーロッパのエスタブリッシュメントの本質を広瀬氏が捉えていないという情報を、実際にロスチャイルド一族などと交流を持つ某識者から直接筆者は聞いている。よって、広瀬氏の著書は割り引いて読む必要があり、アメリカの支配層を鳥瞰図的に捉えるための参考資料程度に利用すればよいと思う。

一方、1980年代から1990年代にかけての米国は、「雇用なき繁栄」という大量失業と不安定就業が恒常化して中流階級が没落していった時期であり、一握りの富裕層と圧倒的多数の困窮層という極端な二極化が進行した時期であった。不幸にして、現在の日本も二極化が進行しているのはご存じのとおりである。このように、低開発国の民衆や先進国の低所得層の民衆の犠牲の上に成り立っているのが、「世界の政治・経済のエスタブリッシュメント」が主導する「アングロ・ユダヤ金融戦略」の実体であることを忘れるべきではない。

次に、「世界の政治・経済のエスタブリッシュメント」のグランドストラテジー(大戦略)が世界の政治・経済にどのような影響をもたらしているのかについて筆を進めてみよう。

物部氏の指摘にある米国経済、さらには世界経済をコントロールしているというアングロ・ユダヤ連合による金融ヘゲモニーをはじめ、軍事・情報など他分野のヘゲモニーも視野に入れて考察するにあたり、最良の指南書の一冊が『国際寡占体制と世界経済』(岩城淳子著 御茶の水書房)である。

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(1) 国際的金融ヘゲモニー

(2) 国際的情報ヘゲモニー

(3) 国際競争力としての生産性優位の確保

(4) 世界の科学・技術分野におけるリーダーシップの掌握

(5) 原料・エネルギー資源の囲い込み

(6) 国際関係の戦略的構成

(7) 地球ないし宇宙規模の軍事ヘゲモニー

出典:『国際寡占体制と世界経済』(岩城淳子著 御茶の水書房 P248 

戦後の米国の歩みを振り返ってみると、第二次世界大戦後から1970年代初頭までは戦禍を免れた唯一の参戦国であった米国が圧倒的な力を固持していたことに気づく。しかし、ベトナム戦争などにより米国が国力を消耗している間、戦禍に見舞われたヨーロッパおよびアジアの諸国が復興を遂げ、ついに米国を1971年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)が襲い、戦後の国際経済秩序の根幹をなしていたIMF・GATT体制、所謂ブレトンウッズ協定に終止符が打たれたのであった。このように書くと、パクス・アメリカーナが終焉を迎えたかのような印象を読者に与えかねないが、実際はニクソン・ショック以降のパクス・アメリカーナの基盤は一層強固なものとなったのである。そうした米国主導による世界体制が確立された時期が1980年代であったと言えよう。

ここで、『国際寡占体制と世界経済』を下敷きに、岩城教授の図にある(1)(7)を筆者なりに解釈すると以下のようになる。

(1) 国際的金融ヘゲモニー

国際的金融ヘゲモニーとは、本稿で取り上げている世界経済の支配層そのものを指し、それが岩城教授の描いたヘゲモニー構造図の頂点に置かれているのも、国際的金融ヘゲモニーこそが中核的なヘゲモニーだと岩城教授が捉えていたからである。ニクソン・ショック以降、今日に至っても相変わらず不換紙幣ドルが世界の基軸通貨として流通し、巨大銀行がニューヨークに集中している事実そのものが、米国主導の国際的金融ヘゲモニーの重要性を示す何よりの証となる。尤も、国際金融市場におけるドルの垂れ流しという米国のしたい放題に歯止めをかける意味で、ヨーロッパ諸国が2002年1月にEUの統一通貨であるユーローを登場させたことの意義は大きく、今後の米国主導による経済支配層に少なからぬ影響を与えると見て間違いない。

(2) 国際的情報ヘゲモニー

国際情報通信分野における米国の情報ヘゲモニーは、上記の(1)国際的金融ヘゲモニーと密接な関連性を持つ。何故なら、投機的金融市場では一瞬の差、一瞬の情報格差が勝敗の決め手となるためからである。1815年6月19日に大英帝国とフランス両国の命運を賭けたワーテルローの戦いの結果を誰よりも早く入手したネイサン・ロスチャイルドが、ロンドンの株式取引所で巧妙な手口を使って濡れ手に粟の莫大な大金を手にしたという逸話を思い出せば、情報の大切さは一目瞭然となる。尤も、ネイサン・ロスチャイルドの入手した情報は“素材”に過ぎず、来る情報化社会においては素材である情報を分析・統合した上で判断を下すという“インテリジェンス”の方が重要視されることは間違いない。

(3) 国際競争力としての生産性優位の確保

「アメリカが金融ヘゲモニーとして優位に立つためには、米国系の多国籍企業が他国系の多国籍企業に対して競争上優位な地位を確保していることが必要であり、そのためには設備の近代化・人減らし合理化による労働生産性の向上すなわちコスト・ダウンで優位に立たねばならない」と『国際寡占体制と世界経済』の著者である故岩城淳子教授は説いており、筆者も同意見である。なお、生産性について考察するのであれば、併せて情報ヘゲモニーの一環であるCALS(生産・調達・運用支援統合情報システム)の脅威を知っておく必要がある。すなわち、米国においては、政府、官庁、軍隊、民間、果てはアカデミーすらもCALSによって統括されているという現実である。日本では光ファイバー網云々と騒いでいるが、これではあまりにもハード志向に偏り過ぎていると言えないだろうか。もっとソフトウェアなどのインタンジブルなものにも目を向けていくようにしないことには、今世紀に本格化する地球規模の情報化において日本は立ち後れていくばかりだ。

(4) 世界の科学・技術分野におけるリーダーシップの掌握

日欧米系の多国籍企業では、利潤を獲得していくために常に新製品開発に力を注いでいるが、そのためには科学・技術両分野において他をリードしていくことが不可欠となる。そのためには基礎科学も含め、将来を見通した科学・技術分野の戦略を立てることが必要であろう。しかし、ロケットで有名な故糸川英夫博士がいみじくも「日本にはサイエンスがない」と語っておられたように、基礎研究・科学を軽視している日本には残念ながら科学の名に値するものは皆無に近い。日本人の科学軽視の傾向はセマンティックス音痴に由来するものであり、日本の将来を思うにかえすがえすも残念なことである。

(5) 原料・エネルギー資源の囲い込み

産出・生産地域の偏った石油、レアメタル、食糧などに関して、米国は二国間協定等により資源の囲い込みを進めてきたが、これは高度な戦略の部類に属す。最近の例を挙げるならば、9・11事件を引き金として発生した米国によるアフガン侵略も、一種の原料・エネルギー資源囲い込み戦略である。さらに、一つ上の次元から眺めれば前世紀は石油を中心に世界は動いてきたことが一目瞭然であり、これは21世紀に入った今日においても変わるところがない。尤も、情報大革命の前夜に相当する現在、エネルギーの中心が石油から情報にシフトしつつある現実にしっかりと目を向けることが大切だ。

(6) 国際関係の戦略的構成

「米国を頂点として、その下位に米国と特別の関係にある諸国(日・英・独・サウジアラビア・イスラエルなど)を結集し、更にまた、その下位に戦略上重要な諸国を…という具合に、戦略的重要性にもとづいて重層的に編成された国家関係をさす。この戦略的重要性は、ヘゲモニー構造の維持と資本主義体制の維持の観点から見たもので、当然、ヘゲモニーの各要素とも深く関連している。(中略)戦略的な国家関係の確立にあたっては、その奥深い背後にある人的コネクションが重要な役割を果たしているが、それを可能にしたのは、政・官・財界その他諜報分野にいたるまでの内外の各種人材、特に外国の人材を長期間にわたって大量に育成し、全世界に戦略的に配置してきたことである。こうした人材育成のスポンサーとしては、米国政府だけではなく、ロックフェラー財団、フォード財団などの諸団体やフルブライト基金のようなさまざまな奨学基金があげられよう」と『国際寡占体制と世界経済』の著者である故岩城淳子教授は説いている。筆者も基本的に岩城教授の意見に同意するものの、岩城教授と意見を異にする部分もある。第一に、英国やドイツと同一レベルに日本を岩城教授は取り上げているが、米国は戦略的に英国やドイツの下位に日本を位置づけていると筆者は思う。第二に、人的コネクションについて言及するのであれば、フリーメーソンについても言及しないことには片手落ちという点も指摘しておきたい。

(7) 地球ないし宇宙規模の軍事ヘゲモニー

「圧倒的に優勢な核兵器体系や人工衛星システムを軸とする宇宙覇権を背景に、各種軍事協定によって戦略的に重要な地域をコントロール下に置きながら(6)、各々の地域の特殊性に応じた、科学・技術の先端部分、原料・エネルギー資源などの囲い込み(45)や、地球を覆う情報・通信網の構築(2)などを実現させてグローバルな管理体制に万全を期するという構図である。また、ケインズ的有効需要政策においても、科学・技術戦略においても、軍産複合体が果たす役割はきわめて大きい。こうした全体的関連の中で体制保証の支柱をなしているという意味で、(7)がヘゲモニー構造全体を支える基盤の位置を占めているといえよう」と『国際寡占体制と世界経済』の著者である故岩城淳子教授は説いている。岩城教授の主張のとおり、軍事力はパクス・アメリカーナを維持し、(2)(6)を貫いていくためにも不可欠なものであろう。ようするに、(1)の金融ヘゲモニーと(7)の軍事ヘゲモニーは、岩城教授の言う諸ヘゲモニーを推進していく両輪に相当すると言えよう。

以上、パクス・アメリカーナをさまざまな角度から検証してきたが、ここでふと筆者の脳裏にパクス・ブリタニカが浮かんだ。ご存じのとおり、かつてはパクス・ブリタニカの覇者たる英国は、ボーア戦争、第一次大戦、第二次大戦と半世紀にわたって続いた三つの戦争で国力を消耗・衰退させ、ついにはパクス・アメリカーナに覇権が移行したというのが『国際寡占体制と世界経済』の岩城教授をはじめとする世間の一般的な見方である。しかし、果たしてそうであろうか。寧ろ米国は未だに真の独立国とは言えず、深奥は相変わらず英国の「植民地」のままではないのだろうか。英国本土だけに目を向ければ確かに王室と労働者しか残っていないが、真に優秀な英国人は世界中に散らばっていて世界のソフトウェアといったインタンジブルな分野に深く関与している事実を見過ごしてはいないだろうか。

2003年11月吉日

『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』

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B120416『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を著した鬼塚英昭氏に対する第一印象としては、他のジャーナリストやライターは腰が引けて書くことも出来ない内容、すなわち「住友銀行…佐藤茂…宅見勝…平和相互銀行事件…イトマン事件…住友グループ襲撃事件の一連の利権構造」を堂々と書いているあたり、肝の据わった人物だと思う。

しかし、残念ながら同氏がヤクザに関して拠り所としていたのは、二次資料に相当する書籍や新聞雑誌のみであり、直に石井進、宅見勝、司忍、後藤忠政といった大物と接触しての取材は皆無であることが分かる。そうした大物から命がけで取材を敢行し、危うく命を落としかねない体験も多い、栗原茂という人物を小生は知っているだけに、鬼塚氏のヤクザに関する筆に迫力が感じられないのだが、これはやむを得ないことかもしれない。

それは兎も角、何よりも気になったのは、鬼塚氏は山口組などのダーティな部分のみしか描いておらず、たとえば昨年の東北沖大震災で大勢の東北の人たちのために動いた後藤組の活躍など、彼らの持つ任侠という一面に一切触れていないあたりに、鬼塚氏の正体を見たような気がする。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/04/post-219c.html

また、孝明天皇は伊藤博文に暗殺されたという噂は、故鹿島昇氏の『裏切られた三人の天皇 明治維新の謎』が噂の出所となっており、ネットでの孝明天皇暗殺説もほとんどが同書に由来していると云っても過言ではない。当然ながら、鬼塚氏も鹿島昇天皇観から一歩も出ていない。小生も長い間にわたって鹿島昇天皇観に囚われていたが、それを打ち破いてくれたのが落合莞爾氏であった。ともあれ、孝明天皇暗殺などと根本から間違えているため、鬼塚氏の田布施に関する記述についても眉唾物であると云わざるを得ない。

さらに、先帝(昭和天皇)と瀬島龍三に対して、鬼塚氏は良い印象を抱いていないことが分かる。これは、皇室インナーサークルの栗原茂氏とは全く逆の立場となり、先帝は我が命とすら信じていた栗原茂氏と、鬼塚氏との間に横たわる溝は途方も無く深い。果たして先帝(昭和天皇)の実像は如何なるものであったのか…。今後も鬼塚氏の今回の著作と鈴木正男の著した『昭和天皇のおほみうた』との間を彷徨う日が、当面は続きそうな気がする。『昭和天皇のおほみうた』については、以下を参照。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_c07d.html

最後に、鬼塚氏は同書のp.143で以下のように書いている。

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「てんのうはん」に疑問を感じる人は、松重揚江の『二人で一人の明治天皇』を読むことをすすめる。『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』p.143
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この松重氏もフルベッキ写真に明治天皇や西郷隆盛が写っていると、盛んに世の中に吹聴している詐欺師であり、このような人物の本を「すすめる」ようでは駄目だ。

『金融ワンワールド』

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Totoro_215年ぶりという落合完爾著『金融ワンワールド』(成甲書房)を一気に読み終え、脳裏に浮かんだのが左のパズルである。ご存じの方が多いと思うが、宮崎駿監督のアニメ映画「となりのトトロ」だ。無数ともいえるピースで完成させた縦79cm×横54cmの大パズルであり、今でも完成品を拙宅の茶の間に飾ってある。宮崎駿氏はトトロの森に近い所沢在住であるが、同パズルは以前同市に住み、現在は沖縄で生活する弟嫁からのプレゼントであった。落合さんがワンワールドという、今までに誰も知らなかった世界を研究している姿と、多数のピースを当てはめて一つの絵に完成させようと、取り組んでいた沖縄の弟嫁や姪の姿が重なって見えたので、落合さんには失礼を承知の上で比較させて戴いた次第である。

B120429ともあれ、「となりのトトロ」ならぬ「ワンワールド」という、途方もないパズルの完成を目指して、落合さんが取り組んでいる様子が本当に良く分かった『金融ワンワールド』を一読して、改めて筆者自身も同じく「ワンワールド」というパスワードの完成を目指しているパズル狂の一人だと気付かされた。しかし、同じパズル狂であっても、かなりの部分を完成させた落合さんと異なり、筆者の場合は生涯取り組んだとしても、果たして完成するかどうかという状態だったのだ。しかし、落合さんの新著が発行されたお陰で、ここへきて多数のピースが一気に埋まった感があり、大変感謝している次第である。ただ、同じワンワールドというパズルの完成目指すパズル狂同士と書くのは、正直言って躊躇する。なぜなら、『みち』の4月15日号の巻頭言で天童竺丸氏が述べているように、本来の落合氏は「ゆくゆくは野村證券の社長に予定されていた」ほどの人物であり、小生のような一介の翻訳者では逆立ちしても敵わぬ、凄い経験や人脈の持ち主だからだ。それを惜しげも無く、『金融ワンワールド』という形で公開してくれた落合さんに、この機会に感謝の意を表しておきたい。

■ 落合莞爾全集に向けて
『みち』の4月15日号の巻頭言で天童氏が、「本書(『金融ワンワールド』)はこれから展開されるであろう落合莞爾著作集の総論に相当する著作なのである」と述べている通り、今日までの落合研究の成果がぎっしり詰まっている本なので、大凡を理解しようとするだけでも大変なスルメ本だと思う。その一端を以下に羅列するが、近く新しい掲示板をサムライが管理人の一人として立ち上げる予定なので、『金融ワンワールド』に目を通した大勢の読者に、色々と投稿して戴ければ大変有り難い。

以下、『金融ワンワールド』で印象に残った箇所である(青色は『金融ワンワールド』からの引用、→以下の黒色の記述は小生)。

・初めて大本教とフリーメーソンの対立を解説した書(p.68)
→その通りだと思う。筆者もまだまだ大本教の全容を掴んでいるわけではなく、その意味で今後も『みち』や『月刊日本』での大本教に関する投稿に注目していきたい。『月刊日本』だが、三浦小太郎が「近代の闇 闇の近代」で取り上げている大本教論に注目したい。また、今年の二月にお会いした栗原茂氏が、「大江山霊媒衆→大本教→東西本願寺→皇室」という流れを教えてくれたことがあるのを思い出す。

箕造りたちにサンクァという自らの呼称を冠せたパワー・エリート衆の目的は何であったか。それは、政治家・銀行家・高級官僚・実業家・学者として日本社会の表層に顕れ始めた自分たちの出自を隠すためではないか、と思われます。(p.124)
→サンカの研究に関しては過去における落合さんの研究は優れており、上記のサンカ説も傾聴に値する。

・ワンワールドの中核を成すものの正体は、太古メソポタミアで、シュメルの南岸潟部にいた族種。自称を持たない族種なので、真相を知る人は「ヴェネツィア・コスモポリタンに」と読んでいますが、これは秘史に属し、これまで明言した者はいないようです。(p.83)
→ヴェネツィアに関しては、天童竺丸氏の『悪の遺産ヴェネツィア』を推薦したい。拙ブログでも取り上げたので以下を参照のこと。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2012/03/post-091b.html

・ようやく到達した(以下の)表ですが、まだ完成品ではありません。なぜなら、本来のユダヤ人とされてきた人種の驚くべき正体が判明したからです(p.086) 
→以下の表は、従来のユダヤ観を覆してくれるのではないだろうか…。

Oneworld01

・「明治天皇=東京皇室」と「堀川天皇=京都皇統」が誕生した)(p.83)
→近い将来、落合莞爾全集の中に組み込まれるものと思うが、関心のある方は『月刊日本』および『ニューリーダー』の落合記事を参照。両誌に長年目を通している読者であれば、『金融ワンワールド』のp.83にある「日本天皇が太古にシュメルから渡来したことは、欧州王室の夙に知るところでした」もスンナリ読めるはずである。

・日本民族の三大源流
■縄文人
(1)土着アイヌ人
(2)先住海人族「ヘイ」
(3)渡来シュメル族「タチバナ」

■弥生人
(1)縄文末期に渡来した古イスラエル北王国十支族(海部・物部・秦)
(2)海部氏が率いてきた倭族

■古墳人
(1)崇神天皇以後の渡来系騎馬民族
(2)応神天皇に秦氏が朝鮮半島から呼び寄せたツングース系人
(p.110)

→栗原茂氏が「アイヌが日本に土着する以前から天皇家の遠祖が居り、アイヌを支援したのでアイヌは恩義を感じて天皇家のために尽くした」という話、および栗本慎一郎氏の著した『シルクロードの経済人類学』、特に青森県の三内丸山遺跡が脳裏にあるので、上記の「三大源流」と照らし合わせてみて、今後の研究課題にしたい。

・ゼロ金利は、ヴェネツィア・コスモポリタンが、経済社会の位相(Phase)の変化を感じ取って採用したものと私は考えます。決して喜んでしたわけではないが、萬やむを得ず採用したのです。(p.198)
→先日、優れたエコノミストから直接お話を伺う機会があっただけに、このあたりは正に同感である。

・今思えば赤面の至りです。私は、経済社会の金融史的な位相(Phase)が、完全に転換していたことに気がつかなかったのです。(p.212)
→冒頭で紹介した、「ゆくゆくは野村證券の社長に予定されていた」ほどの落合さんの言葉だけに、一層同氏の誠実さを感じさせる行であった。同書の中で最も感銘を受けた箇所だったことをここに告白しておこう。

・私は、SDIには公表されない本当の「スターウォーズ作戦」があったと観ています。すなわちHAARP計画です。地球社会を根本からコントロールしているのは、このような巨大な計画なのです。(p.257)
→その通りだと思う。我々の想像以上にHAARP計画は進んでいるのが実態だ。過日の311にしても人工地震だという噂が絶えないが、仮にそうであったとしてもアラスカのガコナハープが、あのような拙く悲惨な地震を起こすようなことするはずがないことは、ガコナハープを日本で最もよく知る識者から直接確認している。

・本稿(『金融ワンワールド』)は、世界でも日本でも、金融ワンワールドと軍事ワンワールドの競合により大局が生じているという観点に立ち、金融ワンワールドの核心がユダヤではなくヴェネツィア・ワンワールドであることを明らかにし、その文派が日本にもいることを示しました。
 日本では天孫騎馬民族と海洋民族という「日本在住ワンワールド」が競合しながら歴史を形成しましたが、地政学上のリムランド(縁辺地域)に属する日本が、世界経済に雄飛しえたのは、実にその競合がうまく働き、秩序を誇る倭人族の勤勉と相まった結果というのが本稿の結論です。
 今後も、日本民族が三大源流の合作競合により発展するとの自信をもって当たれば、現下の経済的難局も切り抜けることが出来ると考えています。
(p.260)
→心強い結論(宣言)であると思う。

『「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え”説のトリック』

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B121024藤充功氏の『フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え"説のトリック』(ミリオン出版)が発売され、自宅に届いたと思ったら、間髪を容れずに高橋(信一)先生から書評が届いたので以下に公開する。過去において斎藤氏の記事に関する高橋先生のメールを戴いたり、斎藤氏のフルベッキ写真に関する記事を『怖い噂』などで読んでいたこともあり、殆どが既知の内容であったが、フルベッキ写真に写る“明治天皇”が本物で無いことが判明したことは大きい。なお、藤氏は後書きに「天皇の写真一枚にも近代史を揺るがす秘密が隠されているのかもしれない。次の取材テーマは“天皇写真の謎を追う”と決めている」と書いており、今から待ち遠しい。

『「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え”説のトリック』について

高橋信一

 この本でノンフィクション作家の斎藤充功さんは、私が8年前から亀山信夫(サムライ)氏のブログ「舎人学校」を通じてやってきたことを追認して下さっています。一人でも多くそういう方が増えることを願います。「フルベッキ写真」の偽説の解明のために、いっしょに取材に付き合って下さいました同士なので、余りきついことは書けませんが、読んで下さる方々の理解の助けになるよう問題点の整理と疑問点を少し書かせてもらいます。

 嘘を正当化するために、沢山の嘘が生産され、それが意図してなのか、そうでないのか、絡み合っていく様子がよく分かりました。しかし、フィクションは火のない所に煙を立てる(創造する)のが本質であって、そもそもフィクションの裏付けを追究することに意味があるのか疑問にも思います。意味があるとすれば、フィクションを真実と言い募る輩の真の目的が何処にあるかを明らかにすることなんでしょうか。それでも、ノンフィクションに推測や推理を多用すれば、それは結局フィクションになってしまう危険性があることは十二分に認識しておく必要があると思います。

 いろいろな方面から検討されていますが、以前ブログの「フルベッキ写真 汚名の変遷」で取り上げました点に絞って、「フルベッキ写真」に「ニセの付加価値」が付けられた経緯をもう一度整理しておきたいと思います。

 昭和49年と51年に雑誌『日本歴史』に論文を出した島田隆資氏は数年後に亡くなりますが、それまでに同定者を33人までに増やしました。それを佐賀藩士江副廉蔵の子孫が所蔵するオリジナルからの再コピー写真を、さらに複写させてもらって人名を書き込んだものを各方面に配って回っていました。古写真研究の権威小沢健志氏の所にも出入りしていたようです。名前入りのコピーは昭和55年秋田は角館・青柳家の開かずの蔵や昭和60年の二階堂副総裁が国会に持ち込んだものとかを始めとして、全国各地で「発見」されています。全てベースは江副家の写真であることが確認出来ています。ここで注目しておくべきことは、昭和55年8月19日の『佐賀新聞』に当時の佐賀大学教授の杉谷昭氏が一文を寄稿して、島田論文を支持する発言をしていることです。第一線の佐賀学の研究者が偽説を支持したことが、その後に問題を拗らせる元凶になったと考えます。杉谷氏は近年になってもその姿勢を変えていないようです。

 平成10年9月1日の『体力健康新聞』に載ったのも同じ類のものです。それを見た松重正氏が『周南新報』(平成11年となっていますが、掲載日を明らかにしてほしい)に「大室寅之祐」を加えて掲載しました。「頭山満」は信憑性を上げるための方策に過ぎません。しかし、この時彼が同定した人物は現在我々が「岩倉具経」と認識している人物でした。これが、平成15年の『日本史のタブーに挑んだ男』で、現在の明治天皇に似た「不明の人物」に変更されています。この間に何があったのか? 誰が松重氏に入れ智恵したのかが問題です。

 平成13年に佐賀の「金龍窯」が人名無しの「フルベッキ写真」の陶板額を造り、島田論文のコピーを添えて売り出しました。論文は誰からもらったのか? ここから山口一派が動き出したのです。平成13年4月14日に長崎のミニコミ誌の社長柳原政史氏が、この陶板額と全員の人名を書き込んだ資料を中丸薫氏に贈ります。斎藤さんは山口貴生氏だとしていますが、「フルベッキの子孫の友人」は柳原氏だと思います。全員の人名の資料は誰がでっち上げたのでしょうか? 山口氏が作った陶板額とは人名に若干違いがあります。検討途上にあったということでしょうか。その中に「正岡隼人」という名前があります。ニセ情報には尾ひれが付き易く佐賀藩士の一人だと言った人がいますが、現在の佐賀県は全国一「正岡」姓の少ない県です。そこの出身の佐賀藩士なら簡単に判明するはずです。案の定、人名入り陶板額では外されました。私は全員の人名を捻り出した幕末・維新史に相当詳しい人物が遊び心で自分の変名を加えたのだと思います。中丸氏は自己の宣伝『真実のともし火を消してはならない』に、これらを利用しました。この時点で松重氏と繋がったのでしょうか。それが、平成15年の松重氏の本に反映されたと考えるべきでしょうか。

 また、中村保志孝氏をフルベッキの子孫として担ぎ出す画策は平成13年には完成していたことになります。それを謳い文句に人名入り「フルベッキ写真」の陶板額が同じく佐賀の山口氏の「彩生陶器」から平成16年に発売されます。なぜか「金龍窯」は使われませんでした。時間がかかったのも引っ掛かる点です。この時小冊子が付けられましたが、人物の経歴が書かれていただけです。陶板額には人名と同時に慶応元年当時の年齢が入っていました。その基礎資料程度のものだったと思いますが、全員の生年月日を調べるのは素人には出来ません。「慶応元年2月成立」の理由も書いてありませんでした。山口氏は平成21年に相当加筆した「日本の夜明け」を出版しますが、正常な歴史の事実を無視した間違いだらけの本であることは私がブログの「反証・山口貴生著『日本の夜明け』」で詳細に指摘しました。柳原氏の思索を無視した山口氏の単独行動だったようですね。以降、次々に販売される「変種」の「フルベッキ写真」は問題の本質に関係ないので、加治将一氏の著作も含めて無視していいと思います。

 その外で、気になった所をいくつか上げます。111ページに私の「舎人学校」掲載の文章を引用して下さっていますが、大事な所に誤植が散見されるのは残念です。122ページの写真の説明が「済美館の生徒たち」となっていますが、正しくは「明治2年2月撮影の明治政府の洋学校広運館の教員たち」の写真です。155ページに上野彦馬の開業が慶応3年から明治元年とあるのは、広いスタジオの完成時期との混同があります。正式な開業は文久2年秋とされています。また、156ページの坂本龍馬そして伊藤博文と高杉晋作の写真について、撮影時期は背景に置かれた小道具についての分析から、現在私はそれぞれ前者は慶応3年春、後者は慶応2年春と考えています。

 中村保志孝氏とお会いした際にご両親の写真を拝見し、複写も撮らせていただきました。フルベッキはフランス人系の顔立ちですが、ホーツワード氏はドイツ人系でまったくフルベッキの子供には見えませんでした。最後に「あとがき」に触れられていたことと関連しますが、『英傑たちの肖像写真』でも触れられていなかった明治天皇の死亡診断書や病歴、若い頃からの健康記録(身長・体重など)は現存するのでしょうか。その辺から調査を始めるべきかと思います。

 正直言って、今回の斎藤さんのレポートは未完成だと思います。問題点は以下の3点に集約されます。

1.松重一派と山口一派の間に繋がりがあったのか、なかったのか? あったとしたら、両者を結びつけたのは誰か? 次の2.との関連で平成11年から13年までのギャップを埋める必要があります。この間、何が行われたのか?

2.全員の人名を入れたのは誰か? 中丸氏の本にあった「正岡隼人」は現代に実在する人物の変名であり、全員の人名を入れた張本人だと考えます。

私は平成19年7月佐賀の地方史研究の雑誌『葉隠研究62号』にブログの内容を整理した「フルベッキ写真の解明」を掲載しました。それは、その前号『61号』に杉谷氏が小早川景澄の変名で「幕末・動座物語」というフィクションを載せ、その号を頼まれもしないのに私に送り付けて来たからです。内容には慶応元年2月に明治天皇の幼少時の祐宮の長崎動座(天皇の居所の移動)が起こったという、正に「フルベッキ写真」の偽説のシナリオが書かれていました。私は佐賀の人たちが大きな疑念を持つと感じたので、真相を知ってもらおうと原稿を書きました。杉谷氏とはかなり以前に会って、私のブログの原稿を渡し見解を伝えてありましたが、まったく聞く耳を持たず、新たな人物名を欄外に書き込んだ島田論文のコピーを送り付けて来たり、このような暴挙を平気でやって来ます。松重氏の「天皇すり替え」説に繋がるものと思います。

3.今回は上野彦馬のスタジオの変遷について、まったく裏付けを取ってもらえませんでした。この点は現状、私のブログの論考「上野彦馬の写真館と写場の変遷」を丹念に読んでいただくしかないと思います。加治将一氏の『西郷の貌』に載った薩摩藩士11人の集合写真の狭いスタジオと「フルベッキ写真」の広いスタジオが慶応元年当時、同時に存在したということはありえません。このことを理解するだけで、「フルベッキ写真」問題がフィクションであることの証明は必要かつ十分です。

 島田隆資氏は西郷隆盛への思いが高じて33人まで同定を進めましたが、「天皇すり替え」説のような不純なものはまったくなく、西郷の国家への気持ちを慮った純粋な気持ちで取り組んでいたと思います。しかし、全員の人名を入れた人物には腹黒い意図があったに違いありません。売名か、金儲けか、本当に「天皇制」を覆そうと思っていたのか、未だ掴みきれませんが、新しい「付加価値」を創造したことは認めねばなりません。有名人の写真を真面目に集めて来て集合写真の上に貼り付けるフェイクをやったのなら、アイデアとしては面白いと評価出来ますが、関係のない生写真にニセ情報を付加するという横着な行為は、その影響を考えれば犯罪と言っていいと思います。この「ニセの付加価値」を生んだ真犯人は、影でこの事態を楽しんでいるのでしょうね。鬼籍に入る前に、いい加減に自首して出て来てもらいたいものです。

平成24年10月23日

『明治維新の極秘計画』

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Horikawa落合(莞爾)さんの新著『明治維新の極秘計画』が、11月29日に発売されてから十日が経過したが、大手マスコミは無論のこと、ネット界ですら書評は今のところゼロだ。あのアマゾンすら、未だに誰もカスタマービュー(書評)を書いていない。

無理もない。学校教育を受けた我々は、孝明天皇は慶応2年(1866年)12月25日に天然痘が原因で崩御(宝算36)され、睦仁親王が明治天皇として即位されたと教わってきたので、今回の落合説には大いに戸惑うはずだ。一方で、孝明天皇と睦仁親王は暗殺あるいは毒殺され、代わって大室寅之祐が明治天皇に即位したという、ネット界隈で飛び交っている説を頭から信じている人たちも、今頃は頭が“大”混乱しているのではないだろうか。落合さんは以下のように主張する。

我々の知る明治天皇は、確かに睦仁親王ではなく大室寅之祐である。しかし、孝明天皇と睦仁親王は暗殺若しくは毒殺されたのではなく、京都皇統(國體天皇)として“お隠れ”になったのである

この落合説、あまりにも信じがたい内容に思えるかもしれない。しかし、筆者はこの落合説を全面的に支持する。

最初に、筆者が2年半前に作成した以下のPDFファイルに目を通していただきたい。
「ochiai01.pdf」をダウンロード

京都皇統あるいは東京皇室と書いてあったり、堀川辰吉郎や杉山茂丸の名が登場したりと、一層頭が混乱してくるかもしれない。このあたりは『明治維新の極秘計画』で落合さん自身が述べているように、来年発売される予定の第三弾に譲るとして、注目して頂きたいのは「皇室インナーサークル」である。落合さんは「さる筋」という表現をしているが、実はこの皇室インナーサークルのことを指している。筆者が自信をもって落合説を支持できるのも、筆者も「さる筋」との少なからぬ交流があり、直に深奥の皇室情報を得ているからこそ、確信をもって落合説を支持できるのだ。

落合説を信じられるかどうかは、偏に「日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです」(p.10)という、落合さんの言葉の意味するところを何処まで理解し得るかにかかっているように筆者は思う。ともあれ、『明治維新の極秘計画』のポイントを以下に転載(p.12)しておこう。

(1)孝明天皇が崩御を装い、皇位を南朝皇統の大室寅之祐に譲る。
(2)睦仁親王及び、妹の皇女壽萬宮・理宮も薨去を装い、父・兄と共に隠れ家に隠棲する。
(3)隠れ家として、水戸斉昭が堀川通六条の本圀寺に「堀川御所」を造営する。
(4)大室寅之祐は睦仁親王と入替わり、孝明の偽装崩御後に践祚して政体天皇に就く。
(5)堀川御所に隠棲した孝明は國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当する。
(6)一橋慶喜は将軍就任を回避し、尹宮(時に青蓮院宮)と公武合体政権を建てる。
(7)幕府は十四代を以て大政奉還し、幕藩体制を終了させて立憲君主制の新政体を建てる。

並行して、世界戦略情報誌『みち』の掲示板で筆者は以下のような内容の投稿を行った。

『明治維新の極秘計画』では上記の二冊、殊に『徳川慶喜公伝』を高く評価している行を読んて感動し、これは是非とも目を通さねばと思って四巻を購入しまし た。どのくらいの期間で読了できるか分かりませんが、「堀川政略」を念頭に読み進めていくことで、何等かの己れなりの発見があるのではと期待しています。
「コーヒーブレイク」No.92

410z84fmbkl_sl500_aa300__2世間では徳川慶喜公への評価はさほど高くはない。しかし、あの渋沢栄一が著した『徳川慶喜 公伝』(平凡社東洋文庫・全四巻)に目を通した落合さんは、今までの慶喜公に対する態度を大きく変えたことが同書p.62「『徳川慶喜公伝』こそ真の史書である」に書かれている。

誰にせよこれを読めば、徳川慶喜公の心情とそれに基づく行動の意味が真に理解できるはずです。しかるに巷間の史書・史談が悉く(ことごとく)慶喜公の心情を理解しておらず、公の行動を曲解して評価を誤り、甚だしきは見当違いの罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせているのは、稗史(はいし)小説家は言わずもがな、史家といえども同著を繙(ひもと)いていないことを示しています。

来春発売されるであろう、落合シリーズの第三弾が今から楽しみである。


古写真研究資料集「古写真研究こぼれ話」の無料頒布会のお知らせ

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古写真研究資料集「古写真研究こぼれ話」の無料頒布会のお知らせ

高橋信一

 8年前から、仕事の合間に古写真に纏わる諸々について、コツコツ調べた結果を亀山信夫さんのブログ「舎人学校」や昨年からはフェイスブックからも情報発信して来ました。主たる研究の「フルベッキ写真」やそれに関連した上野彦馬の写真に関わることは各種講演・論文等でも発表しています。朝日新聞社刊「写真集 甦る幕末-オランダ・ライデン大学所蔵写真-」の記述内容の見直しには非常に多くの時間とエネルギーを割き、その大方は先のブログに掲載してあります。そうした研究調査の過程で集めた古写真の画像データや関係する資料は膨大になっています。折角集めたものを自宅のコンピュータの中に埋もらせて置くのは勿体ないし、いつかは消えてなくなるので、印刷媒体として残そうと思い、今回私費出版ですが、「資料集」としてまとめることにしました。

 新撰組研究の第一人者釣洋一さんが経営する四谷三丁目のスナック春廼舎で行った過去6回の「江戸史談会」の講演の資料も改稿して集めてあります。データ集、あるいは研究ノートに近いので、「資料集」の前半に入れた昨年来フェイスブックに掲載していた70件程の原稿以外は、説明が不十分で読み物としては面白くないかもしれませんが、古写真に関心のある方に参考資料として、あるいは研究の取掛りとして利用いただけたら嬉しい限りです。国会図書館等の図書館や古写真に関連のある美術館・博物館等には寄贈する予定です。印刷残部は少ないですが、個人の方にもお分けしたいと思っております。

 そこで、来る5月25日(土)午後4時30分からの春廼舎での「第53回江戸史談会」の席上で無料頒布会を開きます。当日、通常の私の講演の後で「資料集」をお渡ししながら内容について若干のご説明もする予定です。「資料集」を酒の肴にして、古写真についていろいろな面から語り合いたいと思います。恒例のことですが、会の参加費として食事代4000円をいただきます。どなたでもお出でいただきたく、よろしくお願いしたします。

 

第53回 江戸史談会

「捏造写真の系譜-坂本龍馬の妻お龍、唐人お吉、西郷隆盛の写真を

検証する-」

平成25年5月25日(土)午後4時30分から

四谷三丁目 スナック 春廼舎(ハルノヤ) 03-3350-3732

http://www.geocities.jp/haruno_ya/edoshidankai.html

 

参加いただける方は予め、フェイスブックへの書き込みか、以下にメールをいただけると準備が楽になります。重ねてよろしくお願いします。

http://www.facebook.com/shinichi.takahashi.940

shin123◆jcom.home.ne.jp (※スパムメール防止のため、@を◆にしました。メールを送信する際は、◆を半角の@に入れ替えてください。

最後に「資料集」の目次を添付します。

 

目次

 

1. 古写真研究こぼれ話(フェイスブック掲載)

001. 私の情報発信

002. ロッキングチェアに座った勝海舟の写真

003. フジフィルム・ギャラーの写真

004. 唐人お吉の偽写真

005. 宣教師の娘について

006. 鼠島ピクニック写真

007. 中牟田倉之助と石丸安世の写真

008. 神奈川の成仏寺と本覚寺

009. お蝶とピート

010. 横浜写真

011. 坂本龍馬の妻お龍の写真と内田九一写真館スタジオの変遷

012. 薩摩藩士の集合写真

013. 上野彦馬の江戸行きについて

014. ボードイン兄弟の写真

015. フランソワ・ペルゴとアンベール

016. 佐賀藩士9人の集合写真

017. 戸塚文海とAFボードイン

018. 神戸競馬場のスタンド

019. アンベールの集合写真

020. ポルスブルックの肖像写真

021. ポンペの肖像写真

022. 大徳寺大集合写真

023. 松本良順の写真

024. 長崎奉行の写真

025. 中国服の女性

026. 小石川薬園送別会の写真

027. 通詞石橋兄弟の写真

028. 熊本城の写真

029. 夏休み宣言とボードイン

030. 欄干の置物

031. 妙行寺の写真

032. 上野彦馬の肖像写真

033. 尾張徳川四兄弟

034. ガワー再び

035. レンズが撮らえた幕末明治日本紀行(1)

036. 清水東谷のスタジオ

037. 発見された明治三陸津波の古写真

038. 勝海舟の明治4年の写真

039. 厚木宿

040. 明治4年の勝海舟

041. 岡田屋写真館について

042. 幕末明治の肖像写真(1)

043. 巡幸パノラマ写真(1)

044. ブレンワルドの日記

045. 巡幸パノラマ写真(2)

046. 日文研九一アルバム

047. 巡幸パノラマ写真(3)

048. 巡幸パノラマ写真(4)

049. 巡幸パノラマ写真(5)

050. 巡幸パノラマ写真(6)

051. 巡幸パノラマ写真(7)

052. 巡幸パノラマ写真(8)

053. レンズが撮らえた上野彦馬の世界

054. 巡幸パノラマ写真(9)

055. 巡幸パノラマ写真(10)

056. 九一の巡幸写真

057. 巡幸パノラマ写真(11)

058. 巡幸パノラマ写真(12)

059. 懺悔

060. 巡幸パノラマ写真(13)

061. フルベッキ群像写真

062. 斎藤月岑の日記

063. 宇和島報告(1)

064. 巡幸パノラマ写真(14)

065. 宇和島報告(2)

066. ビードロの家

067. 長崎為政写真館について

068. 巡幸パノラマ写真(15)

069. 巡幸パノラマ写真(16)

 

 

2. 講演資料など(洋学史研究会、江戸史談会他)

070. 書評「上野彦馬歴史写真集成」(「民衆史研究」)

071. 幕末・維新の集合写真01講演資料

072. 幕末維新の集合写真(1)講演

073. 幕末・維新の集合写真02講演資料

074. 幕末維新の集合写真(2)講演

075. お龍三姉妹(内田九一写真館スタジオの変遷)講演

076. 上野彦馬写真館スタジオの変遷講演

077. 捏造写真の系譜資料

078. 捏造写真の系譜講演

 

3. 「写真集 甦る幕末」の再評価

079. 「甦る幕末」再評価本文

080. 「甦る幕末」写真タイトル目録

081. ボードイン兄弟の年譜

082. 下岡蓮杖とブラウンの周辺の写真について

 

4. 「フルベッキ写真」の解明

083. 「フルベッキ写真」に関する調査結果

084. 明治元年のフルベッキ年譜

085. 慶応元年の偽フルベッキ年譜

086. 「フルベッキ写真」の真実講演

087. 「フルベッキ写真」の講演資料

088. 「フルベッキ写真」について(「日蘭学会通信」) 

089. 「幕末維新の暗号」粗探し 

090. 反証「日本の夜明け」

 

5. 各種博物館所蔵写真調査結果

091. 横浜開港資料館アルバム目録

092. 長崎大学古写真画像データベース目録

093. 国際日本文化研究センター画像データ目録

 

094. あとがき

『古写真研究こぼれ話』

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13052601_2昨日(5月25日)、高橋(信一)先生の講演会に久しぶりに顔を出してきた。場所は東京は四谷三丁目にあるスナック、「春廼舎」(ハルノヤ)で、テーマは「捏造写真の系譜-坂本龍馬の妻お龍、唐人お吉、西郷隆盛の写真を検証する-」というものだった。このスナックで、不定期だが「江戸史談会」という集いが開かれており、過去に高橋先生から二回ほどお誘いを受けていたが、仕事の都合でなかなか実現しなかった。昨夜は三度目の正直ということで漸く参加できた次第である。高橋先生の貴重なお話の他、本邦における本物の古写真研究家の方々との名刺交換を行い、古写真分野の人脈を広げることができたのは収穫だった。帰り際、高橋先生の貴重な私家版『古写真研究こぼれ話』を謹呈していただいた。400ページを超える、浩瀚なる古写真研究書であり、今後の貴重な古写真史料となりそうだ。

昨日お会いした古写真研究家の一人、森重和雄氏のブログに古写真研究家を紹介した記事がある。
いつも不思議に思うこと

その中に、昨日お会いした数名の古写真研究家のお名前があった。

最初に、古写真全般の専門家である石黒敬章先生。『英傑たちの肖像写真』で森重氏とともに編集協力をされている。

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それから、下岡蓮杖および横浜写真が専門の斎藤多喜夫先生。 『幕末明治 横浜写真館物語』等を執筆されている。

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また、昨日は席が隣同士だった、小川一真が専門の国立民族学博物館の添野勉先生。昨夕は席が隣同士ということもあり、千里の国立民族学博物館を巡って話が弾んだ。

さらに、『「フルベッキ群像写真」と明治天皇“すり替え"説のトリック』の斎藤充功氏も顔を出しておられたので、名刺交換を頂戴してきた。ミリオン出版から出るであろう、明治天皇シリーズの第二弾が楽しみである。

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その他、旧河内国丹南藩の家老の曾孫という杉浦さん、奥会津の出身で「奥会津戦国風土記」というブログを開設している、宮下さん等とも話を交わした。

最後に、以下は当日配布された高橋先生の挨拶文である。

捏造写真の系譜

一坂本龍馬の妻お龍、唐人お吉、西郷隆盛の写真を検証する一

高橋信一 

キヨソネ作製したものも含めて西郷隆盛の肖像画は多数現存しています。私はその最大公約数としての隆盛の人物のイメージを持っていますが、今まで登場した偽写真で似たものは見たことがありません。偽写真から隆盛の肖像画は作れません。真影を残さなかった隆盛の真意についての逸話は数々あります。それでも人々の思い込みを反映して偽写真の捏造は彼の生前から繰り返して行われ、現代の「フルベッキ写真」に繋がっています。私はこの追究のために古写真の世界に入りました。文系でなく、理系の人間として古写真を見て来ました。

先ず・西郷隆盛がどのような人物だったのか、顔の特徴について従来言われていることを見直し、肖像画と偽写真を多数ご紹介しようと思いまず。私が集中的に研究して来ました「フルベッキ写真」に隆盛が写っているにしても、明治元年正月以降明治8年頃まで使われたスタジオで撮影されたもので、慶応元年には存在し得ない写真なのです。にも拘わらず、似た人物の当て嵌めに幻想されて思い込む人々が多く、騒ぎをドンドン大きくしています。この誤解を解きたいと思って研究をしています。

次に下田の唐人お吉についても本人でない写真が下田の記念館を中心にまことしやかな理由をつけて宣伝に利用されています。お吉の偽写真の撮影は明治10年頃、横浜の外人写真家、スチルフリードによって行われ、その後はいろいろな写真館から水彩で色付けされて、「横浜写真」のアルバムに明治30年代まで、利用されてきました。何種類もあるいろいろなポーズの写真を示して、彼女が当時の売れっ子モデルだったこと、イタリア系の混血だったという説もご紹介します。

最後に坂本龍馬の妻お龍の偽写真について、私の疑問点をご説明してみたいと思います。若い為写真が、もしも本物のお龍だったら、何歳の時の写真なのか、スタジオの背景から、撮影はいつ頃でなくてはならないかを撮影した写真家内田九一のスタジオの変遷から推測します。お龍はいつ東京に出てきたかは明確になっていませんが、現在ある資料と写真は符合するのかについて疑問点をお話します。偽写真と晩年の本物のお龍の写真との違いを指摘して、彼女の妹たちとの遺伝学的な比較研究の重要性を他の人物(松平春嶽の子供たちの兄弟姉妹、津田梅子、大隈綾子)を例にして強調したいと思います。

 歴史上のヒーロー、ヒロインには、それに相応しい写真が嘱望されて、その偽写真の捏造に繋がっているのかもしれませんが、古写真は真の歴史の資料としてもっと大事にして欲しいと思います。面白半分の勝手な当て嵌めは、過去に生きた人たちを冒涜するものだと思います。歴史に傾倒する方々には他人の言ったことを鵜呑みせず、古い文書文献を読み込むのと同じようにご自分の冷静な目を古写真にも向けていただきたいと思います。

平成25525日 江戸史談会

斎藤充功さんの『消された「西郷隆盛」の謎』

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『消された「西郷隆盛」の謎』に目を通したという高橋信一先生から論文が届いたので、転載の了解を得た上で以下に公開する。大勢の人たちに一読して戴ければ幸いである。

斎藤充功さんの『消された「西郷隆盛」の謎』

高橋信一

 斎藤充功さんが「西郷隆盛」の写真に関する近刊『消された「西郷写真」の謎 写真がとらえた禁断の歴史』を出されました。斎藤さんは元々「西郷隆盛の写真は存在する説」で、私の「存在しない説」とはまったく相入れませんでした。私の『古写真研究こぼれ話』をお読みの方や「春廼舎」等での講演をお聞きの方は、そのことを理解されていると思います。「ないこと」を「あること」にするには、写真の捏造しかありません。「フルベッキ写真」の偽説の連中は、明治元年に撮影された写真を慶応元年だと言い張っていますが、そのようなものを新たに作ろうとしています。もし「西郷隆盛」の写真に関心があってこの本をお読みになられて、「存在しない説」を覆す有力な証拠だと納得させるものがありましたら、私に教えてください。でも古写真研究者として、決定的な欠陥は指摘しておかなければなりません。

 本の中に、明治の頃から昭和の時代まで繰り返して「西郷隆盛」が写っていると噂されて来た、「島津家の殿様たちの集合写真」が取り上げられています。この写真は古くから島津家の多くの近親者からの情報で、人物の解明はほぼ済んでいたはずでした。昭和12年5月号『明治大正史談』に俗説の間違いがきちんと説明されています。『大西郷 謎の顔』も参考になります。それを斎藤さんは蒸し返ししています。写真の右端に「大久保利通」が写っているという仮定を前提に、この写真が明治4年暮の大久保や岩倉具視の「米欧回覧」出発前に撮影されたとして論理を展開していますが、それは大きな間違いです。この写真は浅草の内田九一写真館で撮影されたものですが、平成24年7月3日のフェイスブックに書き、『古写真研究こぼれ話』の「捏造写真の系譜」にも掲載してあるとおり、スタジオの背景になる腰板と敷物の模様から、明治6年10月から明治8年までの間に撮影されたことが分かっています。これ以前でも以後でもありません。斎藤さんの本では、故意か無作為か分かりませんが、敷物の部分がトリミングされています。他の本でもこの重要な情報が隠されていることが多いです。『英傑たちの肖像写真』でも敷物の模様は確認いただけます。『幕末明治の肖像写真』の明治7年10月8日撮影の記名がある「福沢諭吉ら慶應義塾社中集合」の写真と背景・敷物が同じです。明治4年暮れ当時の敷物とは明らかに違うのです。斎藤さんには私の『古写真研究こぼれ話』を差し上げてありますが、「内田九一写真館スタジオの変遷」についての研究が無視されたようで、大変残念です。

 斎藤さんは、「大久保利通」が髭を生やしていない時代の写真が欲しかったのだと思いますが、間違った選択です。それを前提にした以後の論理は当然破綻しています。間違った前提を基準にして間違った結論に導かれています。それに、橋本先生の鑑定が100%正しい根拠は存在しないと思います。髭のある人物の顔の髭の下を推測しようとすることはまったく非常識です。ここに「古写真による顔鑑定」の限界が露呈されています。「大久保利通」は昨年刊行の『大久保家秘蔵写真帖』で髭のある写真をたくさん見ることが出来ますが、それと比べてみれば違いは明らかです。「大久保利通」は「米欧回覧」以後、暗殺されるまでずっと髭を生やしていました。明治8年前後の髭のない「大久保利通」の写真など存在しません。それを鑑定書という権威付けで、「あること」にするのは、捏造そのものです。きちんと計測してみれば分かりますが、「島津家の殿様たちの集合写真」で名指しされた右端の人物より、「大久保利通」の唇から顎の先までの長さの方が相当大きいと思います。つまり「大久保利通」は顎の大きな人物でした。スーパーインボーズというような怪しげな手法を使うべきではなかったと考えます。

平成26年4月8日

『古写真研究こぼれ話』出版のお知らせ

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このたび、高橋信一先生がフェイスブックに書き連ねてこられた、一連の記事が本となって出版されることになりました。同書を希望される方は、有限会社渡辺出版にメールかファックスでお願いいたします。。9月中旬に刊行され次第、渡辺出版より送付(郵便振替同封のうえで)されます。詳細は以下のファイルでご確認願います。

なお、新刊本『古写真研究こぼれ話』の部数が限られていますので、早めにお申し込みください。

「newbook.JPG」をダウンロード

古写真研究こぼれ話

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先日ご案内しましたとおり、高橋信一先生の新刊本『古写真研究こぼれ話』が発売され、なかなか好評のようです。そこで、高橋先生を囲んだ座談会が行われることになりました。以下に高橋先生からの案内状を公開いたしますので、この機会に是非ご参加ください。お待ちしております。

「フェイスブック版 古写真研究こぼれ話」の出版(4)

高橋信一

 私の本は一応好評を得ているようで、ほっとしています。まだご購入されていない方への便宜になるかもしれないと思い、今度新選組研究の第一人者釣洋一先生の経営されている四谷三丁目のスナック「春廼舎」での「江戸史談会」で久し振りに講演をやらせていただきます。その際に、私の本の販売も併せて行います。「史談会」の会費は通常どおり、4000円ですが、本を買ってくださる方には、本代・消費税を含めて合計5000円とさせていただきます。本を用意する予定がありますので、当日購入を希望される方は、その旨予めコメントを入れてください。

第58回 江戸史談会

テーマ:明治5年西国巡幸における長崎パノラマ写真について(明治天皇の

西国巡幸に随行した写真師内田九一が撮影したと言われる長崎港を望むパノラマ写真は本当に当時の内田九一が撮影したのか、疑問点の追及の現状をお話します。私の本の主要なテーマの一つになっており、まだ最終結論に至っていません。私は、これは古写真研究の一つの練習問題だと思っております。いろいろな視点からの事実の解明の過程を知っていただきます)

日 時:平成26年10月18日(土)午後4時~6時

場 所:四谷三丁目スナック「春廼舎」、場所・連絡先は以下のホームページでご確認ください。

http://www.geocities.jp/haruno_ya/edoshidankai.html

会 費:4000円(講演後の懇親会費を含む:本も買われる方は合計5000円で結構です。本だけ欲しい方は書店でのご購入をお願いします)

よろしくお集まりください。

平成26年9月23日

 

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